そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

「ニセの人望」ではなく、自分に合う人望を求める

福沢諭吉の『学問のすゝめ』に、こんな意味の一節があります。

「人望はその人の備えている能力や人徳によるものだが、そうでないことも多い。それは、見かけだおしの宣伝だけで売れているインチキ商品みたいなものだ」

つまり、実際の能力などに基づかない「ニセの人望」がはびこっていると。そんな事例は昔も今も後を絶ちません。

この何年かでも、いくつか思い出します。「海外の一流大に留学」などと学歴詐称したタレント、「大発見」をねつ造した疑いの科学者、他人に曲をつくらせていた「天才作曲家」等々。スポーツでのドーピングを用いた勝利も、これに類するのでしょう。

世間を騒がせた事例でなくても、ネットをみていると「この人の言っている実績はほんとうなのか?」と疑わしくなることが時々あります。あるいは、いろんな細工をしてネットの検索順位を上げるということも、行われているらしい。インターネット社会は、「ニセの人望」がはびこりやすいのかもしれません。

では「人望なんてウソばかり。そんなものは求めるべきではない」のか? 福沢はこう述べています。

「もちろんニセの人望など論外だ。でも、世の中すべてがニセモノではない。人の存在は樹のようなもので、栄誉や人望は樹に咲く花なのだ。育てた樹に花を咲かせて何が悪い。人望の否定は、樹の価値を殺すようなもの。社会的にも損失である」

福沢は「努力して人望を求めよう」といいます。そして「自分に合った栄誉や人望を求める」ことが大事だと強調しています。自分の資質や能力から外れた人望をめざしてはいけない。努力せずに、あるいは努力していない方向で花を咲かそうとしない。

さきほど例としてあげた、何年か前の学歴詐称のタレント(キャスターの仕事などをしていた)も、英語や話術はかなりのものだったといいます。

だったら、その才能の樹を大切に育て、ふさわしい花を咲かせるべきでした。しかしウソをついてニセの花を咲かせ、信頼や仕事を失ってしまったのです。

そんなまちがいは、したくありません。小さくてもいい。私たちは、自分という樹にふさわしい、本物の花を咲かせましょう。

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