そういちコラム

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大原孫三郎と「大正の社会実験」・知恵とセンスと想いを込めてお金を使う

7月28日は、大正~昭和初期の実業家・大原孫三郎(1880~1943)の誕生日です。

大原は地元の倉敷(岡山県)で、親から受け継いだ会社(倉敷紡績など)を経営しながら、孤児院、社会問題の研究所、総合病院、美術館などの社会事業を手がけました。

大原がおもに活動した大正期は、明治における近代化の基礎に立って、一部の恵まれた人たちが、福祉や文化の向上をめざすさまざまな試み――社会実験といえるものを行った時代でした。

たとえば大正デモクラシーは、そんな社会実験の一部といえます。「画一的教育の打破」「子どもの個性や創造性を生かす」ことをテーマにした「大正自由教育」の運動もありました。

明治国家は、政府による社会政策には冷淡でした。公共の文化施設はまだ皆無。明治末になっても、図書館は少なく、本格的な美術館はなかった。

大正時代は、文化・福祉の向上に必要な「公のサービス」をつくりだす運動が、民間で行われた時代でした。恵まれた人びとの主導で、各種の結社や任意の団体――今でいうNPOが数多く結成されています。

大原孫三郎は、そのような「大正の社会実験」の代表的人物です。

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大原孫三郎の魅力は、その社会事業が金持ちの道楽や恰好つけではないことです。そこには多くの知恵やセンス、そして本気の想いがこもっています。

大原は、各分野の創造的な専門家を見きわめ、その人たちとの深い信頼関係のもとに社会事業を行いました。

たとえば、孤児院の石井十次、大原美術館の児島虎次郎、大原社会問題研究所の高野岩三郎……

石井十次(1865~1914)は、日本の孤児院のパイオニアです。大原が支援して石井が運営する岡山県の孤児院は、一時は1000人を超える子どもを養育する施設でした。

児島虎次郎(1881~1929)は、若い頃から大原が支援する洋画家で、日本画壇の著名な画家の1人でした。大原美術館の基礎となる絵画のコレクションは、大原が託した資金で児島がヨーロッパで買い付けたものです。

買い付けの予算は、かならずしも潤沢ではありませんでした。しかし、児島の選択は的確で、大原コレクションの価値はのちにおおいに高まっていきました。有名作品をバカ高い値段で買う、バブル的な絵画収集とはわけがちがうのです。

倉敷市の大原美術館は、日本における市民のための美術館の先駆けで、今も日本屈指の美術館です。

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高野岩三郎(1871~1949)は、東大教授にもなった経済学者・統計学者。欧米の「統計による社会・経済研究」を日本に導入した功労者です。

たとえば高野が大正時代に行った、都内の庶民の詳しい家計調査(「二十職工調査」「月島調査」といわれる)は先駆的なもので、この分野の発展に大きな影響をあたえました。

高野は大原に招かれて「大原社会問題研究所」の所長になりました。調査や統計を駆使した研究を行い、貧困などの社会問題解決のための知見を積み重ねることをめざした研究所です(のちにこの研究所はマルクス主義的な志向を強めて変質していきますが……)。

こういう、「この人なら」という人にお金を託すから、活きたお金の使いかたになる。

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今の時代、大原孫三郎に学ぶことは多いと思います。

明治における近代化の成果を受け継いで、その先の理想をめざした大原の大正時代。そして、昭和の高度成長による豊かさを受け継いで、その先を模索中の現代。

大正と現代は、歴史上の立ち位置が似ているのではないでしょうか。

今の私たちは高度成長期の人びとがめざした「豊かな暮らし」の先の、新しい理想や問題に向き合っています。

そのような課題に対して、今の日本のリーダーの多くは冷淡であるように、私には思えます。昭和を抜け切れていないので、どうしていいかわからないのかもしれません。

だから、民間のNPOなどによる新しい「公のサービス」の創出は意味があるのでしょう。

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そこで大事なのが、大原のように活きたお金を使うということ。知恵やセンスや想いを込めてお金を使うことです。

これはもともとむずかしいことですが、今の日本人はますます苦手になっているのではないでしょうか? 

政府や民間の社会事業で、本当に有効にお金を使うことのできる人や組織に、ちゃんとお金は流れているのでしょうか? 

また民間企業でも、有効な投資先が見いだせず、ばく大な内部留保を抱えていたりする。

うまく意義のあるお金を使っていかないと、私たちはこれから貧しくなるばかりでしょう。高度成長の遺産を食いつぶすことになるのではないか。

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ところで大正時代の社会実験は、結局どうなったのでしょうか? 

残念ながら大きな花を咲かせることなく、下火になっていきました。

成果はもちろんあったし、それは現代にもつながっている。

しかし、昭和の戦前期には、大正の社会実験が咲かせた小さな花よりも、多くの貧困を抱えた格差社会の矛盾や苦しみが、人びとの精神を覆うようになっていきました。

さらに、社会の矛盾を解決する手段として、小さな改良や実験を積み重ねるよりも、共産主義の革命や、あるいは軍国主義による領土拡大が選択肢として有力になっていった。

どちらも権力と暴力的手段によって、一挙解決をはかるということです。そして、軍国主義の方向に社会はすすんでいったのです。

私たちは、そういう轍(てつ)を踏まないように。大丈夫とは思いますが、それでも、今の世の中のいろんなお金の使われ方をみていると、不安も感じます……

『大原孫三郎傳』より

大原についての新書の評伝。私が大原に関心を持ったのは今から20年ほど前(2000年代初め)のこと。その頃は『大原孫三郎傳』という(一般書店では売られていない)古い伝記と城山三郎の小説くらいしか、大原についてのまとまった書籍はなかった。しかし今は大原については、いくつかの本が出ています。そのなかでこの本はとくに入手しやすく、内容も充実していておすすめです。大原の盟友の専門家たち――石井十次、児島虎次郎、高野岩三郎も、それぞれ伝記や研究があります。

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