そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

蘭学(異端の新しい世界)をみつけて創造的に生きる

「創造的に生きるには、自分なりの“蘭学”をみつけることだ」と私は思います。ここでいう蘭学とは「評価が定まっていない、異端の新しい世界」のこと。

江戸時代の日本は、オランダ以外の西洋には国を閉ざしていました。しかし一部の先覚者は西洋文明の優秀さを発見し、オランダ語の本で学ぼうとした。これが蘭学です。蘭学者は、西洋文明という、当時の日本では異端の新しい世界を追究した人たちです。その「異端」は、のちに圧倒的な主流になりました。

勝海舟(1823~1899)は、文字どおり「蘭学をみつける」ことで活躍した人物の典型です。

勝海舟といえば、明治維新のときの戦いで薩摩・長州の軍が江戸を攻めた際、幕府の責任者として江戸城明け渡しを決めたことが有名です。それで長期の内戦が避けられ、日本は新時代を迎えました。

勝は下級武士の出身ながら幕末の動乱で頭角をあらわし、トップリーダーとなった人物です。しかし時代を見据え、幕府の支配を終わらせる決断をしました。

そんな勝の発想の基礎には、若い頃から学んだ蘭学がありました。蘭学は新しい世界観や視野をもたらしてくれたのです。

しかし蘭学は「西洋にかぶれ体制に否定的になる」と危険視され、蘭学者は迫害もされました。勝もオランダ語を勉強中の22歳の時に密告され、幕府の謹慎処分を受けています。

それでも勝は蘭学を続けました。その後1853年、勝が31歳の時にはペリーの黒船が来航し、開国を迫りました。このとき幕府は対応策を公募しています。勝は西洋の軍事の知識をもとに論文を提出。これが認められ、幕府での勝の活躍が始まりました。

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創造的に生きたいなら、自分なりの「蘭学」をみつけることではないか。

つまり、まだ評価の定まらない、でも価値があると思える何かを究める。ただ、簡単には周囲は理解しないでしょう。そして、その「蘭学」は結局不発に終わるかもしれません。

そんな先覚者の道が大変だとしても、せめて同時代の先覚者を迫害する側にはなりたくない。できれば応援したい。それには勉強して、ものをみる目を養うほかないはずです。

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勝海舟のやさしく読みやすい、すぐれた伝記。この記事の視点のベースになっています。