そういちコラム

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戦争を回避するために必要なこと・オルテガ・イ・ガセットの「平和主義について」

オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)は、大衆社会批判の古典である『大衆の反逆』(1930年)を書いたスペインの思想家です。

彼はそのほかにもいろんなテーマを論じていて、そのひとつに「平和主義について」という、1937年に書かれた文章があります。

1937年というのは、彼の祖国スペインで、フランコというリーダーが率いる軍主導の政権とそれに抵抗する勢力のあいだの内戦が始まった翌年です。そして、1939年に始まる第二次世界大戦の前夜でした。当時オルテガは祖国を離れパリにいました。

「平和主義について」は、第一次世界大戦(1914~1918)への反省から有力となった当時の「平和主義」の限界について述べたものです。オルテガは「平和主義が失敗だったのは紛れもない事実」だとしています。

そして、平和主義者は戦争という撲滅すべき「敵」を過小評価している、というのです。

当時の平和主義が「失敗」に終わったことは、たしかにその後の歴史が証明しているといえるでしょう。

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以下、オルテガの主張を私なりに要約します。

平和を願い、平和や反戦を唱え、軍縮を行うだけでは平和の実現は困難である。平和主義に意義はあるとしても、それだけでは足りない。

平和主義者は戦争というものを、個人の暴力や犯罪行為のような「余計で病的な突起物」だとみて、それを摘出しさえすればいいと思っている。

つまり多くの人は戦争を野蛮や反文明だと考えるが、それはまちがいである。戦争は科学や行政と同じく、文明の重要な一部なのだ。戦争には人びとのとてつもない努力・エネルギーやさまざまな技術・ノウハウが費やされている。その意味で、戦争は人間的な制度である。動物は戦争をしない。

ここからはオルテガの言葉をそのまま引用します。

“戦争は……ある種の紛争を解決するために人間が行う巨大な努力だ”

“戦争というとてつもない努力を回避するには、平和とは戦争より数段大きな努力、複雑きわまりない努力の体制、そして部分的には天才による一か八かの介入を必要とする体制であると理解して初めて可能なのだ”

(『大衆の反逆』岩波文庫、佐々木孝訳。「平和主義について」は1930年の同書の初版にはなかったが、1937年の版で「エピローグ」として追加された。)

そして以上の認識が、従来の失敗した平和主義にかわる“もっと洞察力に富んだ、もっと効果的な平和主義”を築くうえで必要だと述べています。

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こういう主張は、少し前なら多くの人が(そして私だって)「何を言っているんだかわからない」と素通りしていたかもしれません。

でも、ウクライナの戦争のことをみていると、オルテガの言うことがかなりわかる気がするのです。

ウクライナの戦争は、侵略を行ったロシア側の発想では「アメリカなどの西側諸国による圧迫」という紛争的な問題を解決するために始めたことです。とにかく、プーチンの発想としてはそうでした。

そしてそれは、唐突な思いつきではありません。少なくとも10年20年もの期間にわたる、外交と内政の積み重ねの末に、最終的にはプーチンが決めた暴挙でした。

このようにとらえることは、あの非道な侵略戦争を正当化するものではないはずです。しかし、戦争を「問題解決」と考える発想が文明のなかに根強く存在することは、自覚しておくべきではないか。オルテガが言いたいのは、そこだと思います。

だから戦争を無くすには、たいへんな努力が要るということ。

戦争に至るまでのさまざまな行動や努力の積み重ねや、戦争に費やされるエネルギーに匹敵するものが必要なのだ、とオルテガは言っているのです。

また、彼の言葉を引用します。

“つまり戦争は人が行うものであるが、平和もまた人がやらなければならないもの、作り上げなければならないもの、人間の全能力を総動員しなければならないものである”

“平和は何の努力をしなくてもいつでも享受できるように、単に「そこにある」ものではないのだ。平和は何かの木に自然にできる果実ではない”

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私がオルテガの「平和主義について」を知ったのは、つい最近です。このあいだ読み返した小室直樹『国民のための戦争と平和』(ビジネス社)でこの文章について触れていたので、原典を読みたくなったのです。

そして原典を読むと、同書での小室さんの主張が、想像していた以上にオルテガの思想や表現に基づいていることを知りました。

小室さんの同書は1980年代初頭に書かれたもので、当時はオルテガの「平和主義について」は、邦訳されていなかったようです(当時の『大衆の反逆』の邦訳には収録されていなかったそうだが、2020年に出た岩波文庫版には載っている)。

この「平和主義について」の主張は、30~40年前の日本の思想的な雰囲気では、理解されにくいものだったでしょう。だから昔は翻訳されなかったのかも。

しかし、ウクライナ戦争が起こった今の時代なら、だいぶちがうはずです。

「戦争を“巨大な努力”“人間的な制度”だなんて、わけがわからん」という人は、もちろんいて当然です。ただ、疑問や議論の余地はいろいろあるにせよ、多くの人にとって知る価値がある「戦争とは何か」についてのひとつの考えではないかと、私は思います。

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