そういちコラム

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レイチェル・カーソン・『沈黙の春』の著者は物静かな自然オタク

4月14日は『沈黙の春』の著者、レイチェル・カーソン(1907~1964、アメリカ)の亡くなった日です。彼女は科学者で、科学啓蒙書の著者として成功した人です。

彼女の代表作『沈黙の春』は、1962年に出版されました。農薬による環境破壊を警告した、今のエコロジー思想の草分け的な本です。

当時は環境問題への関心は低かったのですが、この本は、批判や反論も含めて大反響でした。科学的に綿密で文章表現もすぐれていたからです。

農薬を製造する化学業界は、彼女を批判・中傷しました。しかし結局、それはあまり効を奏しませんでした。

このように、大きな圧力にも負けない環境問題の先覚者というと、いかにも鋭い感じの「闘うカリスマ」をイメージしませんか? 

以前の私は、ばくぜんとそんなイメージを持っていました。しかしカーソンの伝記や著書を読んで、そうではないことを知りました。

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レイチェル・カーソンはペンシルバニア州の小さな町の、裕福ではないが教育を重んじる家庭に育ちました。父親は勤めをしながら農園を持ち、彼女はそこで幼い頃から生きものに触れて遊んでいた。本も大好きで、少女時代は小説家志望。

しかし、女子大時代に出会った女性の生物学教授の影響で生物研究に魅せられた。大学を卒業後、ジョンズ・ホプキンズ大の大学院で学び、海洋生物学の修士に(1932年)。成績優秀だったので奨学金を得て、どうにか学業を続けることができました。

ただし修士は得たものの、当時は学校の先生になる以外、女性科学者に開かれている仕事は皆無でした。

カーソンにも研究の仕事はみつからず、アルバイトとして大学で教えたり、海洋関係の研究所で臨時の助手の仕事をしたり。そしてこの頃、父親を亡くして、カーソン家の家計は苦しくなっていました。

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しかし、彼女に転機が訪れます。以前から彼女を気にかけてくれていた、商務省漁業局の科学部長が、漁業局の非常勤の仕事を世話してくれたのです。

その仕事とは、漁業局が協賛する、海の生物をテーマにした毎週のラジオ番組の台本を書くことでした。当初台本を書くはずだったプロの作家が知識不足で書けないので、科学部長がカーソンに声をかけたのです。彼女の書いた台本による番組は大好評。

これで彼女は「自分の道」をみつけたわけです。彼女は後にこう回想しています――「私は気がつきました。生物学者になったことで、かえって書く題材が自分にできたのだ、と」。

翌年(1936年)、彼女は生物学者として政府に職を得ることができました。そして、海洋の調査・研究と市民への啓蒙活動の仕事を行ったのでした。

また、その傍ら雑誌への寄稿など執筆活動も行い、海の世界についての啓蒙書も出版しました。そして2冊目の『われらをめぐる海』(1951年)がヒットした後に、専業作家に。彼女は40代半ばになっていました。

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彼女のこうした経歴は、ばくぜんと思っていたのとはちがっていました。

ああいう鋭い先覚者は、科学者あるいは作家として恵まれたエリートか、あるいは逆に異端の知識人としての特殊な道を歩んできたでのはないか、となんとなく思ってきました。

しかし実際はもっと「普通」な経歴だったのですね。若い頃は、女性に門戸を閉ざしていた時代の制約や生活のことで苦労した。それを乗りこえて、どうにか役所勤務の研究員となった。副業でライターの仕事を続け、作家専業は中年になってから。

ハヤカワ文庫から邦訳が出ている『われらをめぐる海』を読んだことがあります。彼女がたしかに深い科学知識と文才を併せ持つ、まれな存在だったことがうかがえる作品です。

そして、自然への愛や好奇心が淡々と伝わってくるのです。「闘うカリスマ」という感じではない。自然オタクで文学少女な人がそのまま成長して、本を書いたという感じ。

「物静かで控えめ」あるいは「内向的なところがある」というのが、彼女を知る人たちの印象でした。

『沈黙の春』は、彼女が晩年(50代半ば)にガンに侵されながら書いた著作です。彼女は本来、こういう論争的な本を書く人ではなかった。

しかし農薬による環境破壊という問題を認識し、「私が書くしかない」と、やむにやまれず書いたのでしょう。大好きな自然が壊れるのをだまってみていられなかったのだと思います。

たしかに当時、環境問題についての本格的な科学知識と、人びとにそれを印象的に伝える筆力をあわせ持つ人物は、彼女以外にはいなかったはずです。少なくとも、その両方の条件を満たす第一人者だったことはまちがいない。

彼女は、自分にしか書けない本を遺言のような気持ちで、攻撃を覚悟して書いたのです。重要な本は、このようにさまざまな条件が重なって生まれるものなのでしょう。

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