そういちコラム

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そもそもヨーロッパとは・ヨーロッパの「西と東」とは・東方正教とは

このところ私たちは、ロシアを含むヨーロッパの地図をテレビやネットでくり返しみています。

そもそもヨーロッパとは何か? 地理学者のジョーダン夫妻(『ヨーロッパ』二宮書店)によれば、つぎの3条件をみたす地域のことです。

①住民の多数派がキリスト教徒 
②使用言語がインド・ヨーロッパ諸語(言語学上の分類で、ヨーロッパの言語のあいだに類似性があり、インド北部の言語とも共通するのでこう呼ぶ)
③住民の多数派がユーロポイド(いわゆる白人)

これらの要素が重なって存在するのは、ロシアのウラル山脈からギリシアにかけての線(下の地図の太い線)の西側です。地図の斜線の部分は、上記3条件をすべて備える範囲。

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なお、斜線が太い線を大きく超えて伸びているのは、この数百年の比較的新しい時代にロシアが東へ領土拡張したためです。

斜線のなかに空白もありますが、これはフィンランドやハンガリーなど、言語がインド・ヨーロッパ諸語ではない、例外的な地域です。

「ヨーロッパの条件」としてとくに重要なのは、キリスト教です。

フィンランドやハンガリーも、言語が異質でもキリスト教圏だから「ヨーロッパ」なのです。結局ヨーロッパとは「ユーラシア(アジア~ヨーロッパにかけての広い範囲)で、キリスト教徒が多数派の地域」のことです。

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そして、ヨーロッパには西と東があります。ヨーロッパは、カトリック系が主流の「西ヨーロッパ」と、東方正教系が主流の「東ヨーロッパ」に二分されます。

キリスト教には「カトリック系」と「東方正教系」の2大宗派があります(「プロテスタント」はカトリックから枝分かれしたものなのでカトリック系に含む)。

2つの宗派のルーツは、古代ローマ帝国にまでさかのぼります。

キリスト教は1世紀のローマ帝国で生まれ、最初は弾圧されましたが、300年代には国をあげて信仰されるようになりました。

そして、そのころに巨大なローマ帝国はいろいろ綻びが出てきて、体制立て直しのため東西に分裂。400年代後半に西ローマ帝国は滅亡してしまいます。一方、東ローマは帝国の体制が(末期は弱体化しましたが)1400年代まで存続しました。

そして旧西ローマの地域ではカトリック教会が、東ローマ(ギリシアなどバルカン半島が中心)では東方正教会がそれぞれ発展していきました。

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また、東ローマ帝国の東や北の周辺的地域に東方正教などの文化が伝わり、700~800年代にはこの地域の初期の国家が形成されました。800年代に成立し、東方正教を国家の宗教としたキエフ・ルーシという国は、その代表です。

キエフ・ルーシは、ウクライナの原型です。また、ロシア国家の先駆けです。「ルーシ」は「ロシア」ということです。

そして、1200~1300年代にはキエフ・ルーシの北方の周辺部に、モスクワ大公国という東方正教の国家が台頭します。

モスクワ大公国は1300年代に、当時ユーラシアを席巻したモンゴルとの戦いで一定の勝利をおさめました。そしてモンゴルの攻撃で解体したキエフ・ルーシにかわって、ルーシ=ロシアの中心勢力となっていきました。モスクワ大公国は、今のロシアの原型です。

ウクライナとロシアは歴史的に「兄弟」と言えますが、国家形成の順番では、兄はウクライナでロシアは弟です。

以上、おおざっぱな知識ですが、ヨーロッパの地図をみながら語る解説者たちの前提になっているはずです。

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