世の中には、大人のための「勉強法」の本がいろいろとあります。でも、それらの多くに私そういちは違和感があります。勉強というものを、仕事の成功や資格取得などと安易に結びつける傾向が強いからです。
そのような成功を求めるのは、切実でもっともなことです。とくに若い人が「自分の社会的ポジションを上げる」という意志を持って勉強するのは、おおいに意味があると思います。
しかし、「成功」を求めるばかりだと、大人の勉強の最もいいところを味わえないとも思うのです。
大人の勉強は何のためにするのか? それは「人生を楽しくするため」ではないでしょうか。何かを知ったり、それを人とシェアしたりすること自体が楽しい。
歴史や芸術などの「リベラルアーツ」の教養が自分の価値を上げる、だから大事なのだということも言われます。でもそのような教養が仕事や世渡りで役立つのは、かなりのエリートに限られるでしょう。
しかしそれらの教養の世界は、やはり知ること自体が楽しい。そこが最大の効用です。
なお、知るに値する「教養」は、今はサブカルやマイナーな趣味も含む幅広いものになっています。その中に自分にとって楽しい何かがきっとあるはずです。
そして、いつまでも初歩的で浅いことばかりではつまらないので、より深いところをめざして工夫や努力をするわけです。
最近は老後の孤独や退屈を心配する人も増えていますが、もしも自分なりの「楽しい勉強」の仕方を身につけたら、老後に退屈することはないでしょう。私は今50代ですが、それをめざしています。
そして、自分の興味に従って深いところを追求するうちに、結果として社会のなかで役立つことがあるかもしれない。でも「そうならなくてもいい」という気もするのです。