そういちコラム

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「再構成された、空想の日本」をみるたのしさ・映画「ブレット・トレイン」

先日、ブラッド・ピット主演の映画「ブレット・トレイン」(デヴィッド・リーチ監督)をみました。

伊坂幸太郎の小説(私は未読)を原作とする作品。原作の登場人物はみな日本人だそうですが、この映画ではほとんど欧米人に置き換わっています。

ブラッド・ピット演じる殺し屋が、日本にやってきた。その任務は新幹線「ひかり」ならぬ「ゆかり」号に乗り込んで、別の殺し屋が持つ、あるブリーフケースを盗んでくること。

簡単な仕事のはずだったが、その新幹線には、ほかに何人もの個性の強い殺し屋たちが乗っていた。そして、何者かの策謀や過去のいきさつなどが絡んで、列車内で殺し屋どうしのバトルが始まってしまう。

まあ、いかにもハリウッド的ともいえる、奇想天外なアクション映画です。

残酷な暴力シーンが多々あるのでR15指定ですが、大人がみれば、だいたい「絵空事」として受けとめることができます。

ブラッド・ピットは、凄腕で強いけどダメなところもある、飄々とした味わいの殺し屋を好演していました。彼が縦横無尽に動く姿をみるのは、たのしかった。

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私はこの映画のストーリーやアクション、俳優の芝居をおおいにたのしみました。

そしてそのほかに、舞台となる「空想の日本」の情景に強い印象を受けました。

この映画に登場する日本の街や駅、列車の中は、セットと特殊効果で生み出したもの。緻密にリアルにできているけど、現実の日本ではない。

巨大な美しいビル群の明かりの下には、ごちゃごちゃしたネオン街。通勤客や旅行者でごったがえす東京駅とホーム。街中のコインロッカー、自動販売機。公衆トイレのウォシュレット。車内販売のワゴン。ゆるキャラの着ぐるみ。キャラクターが描かれた電車の車両……

以上は、こうした言葉だけ並べると、まさに日本の見慣れた風景です。

しかし、この映画に出てくるそれらのものは、微妙に(あるいは明らかに)現実の日本とはちがう何かに再構成されています。

どこか欧米人らしい、あるいは「日本的なセンス」が大幅に除去されたデザイン感覚になっているのです。

たとえば、列車の車内販売の女子が金髪だったりします(でも接客は丁寧)。街中の広告・看板も、なんだかヘンテコ。登場する「東京駅」はたしかに「にぎやかなターミナル駅」の情景だが、こんな駅はみたことがない。

そして、映画のメインの舞台である「ゆかり」号の外見や車内も、まさに「再構成された日本」になっている。

車両のフォルムは「カモノハシ」のような今の新幹線に基づいていますが、モノトーンのカラーリングは日本的ではない。シートなどのインテリアもどこか欧米的。でも、こぢんまりとしたシートがびっしり並ぶ様子は、欧米の長距離列車ともちがう。

乗客の外国人比率は高く、非常に国際化がすすんでいる様子。車内には本物の新幹線にはない、モダンなラウンジがあったりもする。

そして、列車の終着点である京都の古い町並みや五重塔は、緻密なCGだけど、ちょっと変。

風景やモノだけではない。出てくる日本人役の俳優のほとんどが、真田広之を除いてぎこちない日本語をしゃべっている。いや真田広之でさえ、それに合わせているのか、日本語がややおかしい。

その他空間的、時間的にもいろいろ「おかしい」ところがある。終点の京都まで何時間かかるんだ? 京都まで1000キロ以上あるのだろう。そもそも、新幹線の終点が京都だなんて……

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とにかく、ちょっと違和感のある、みたことのない「日本」が次から次へと出てくるのです。

これを「また、おかしな日本や日本人が出てくるハリウッド映画か」と、不快に思う人もいるでしょう。

でも私は、この映画で描かれている日本は、よくある「不勉強」や「無知」によるものではないと思いました。

車内販売のワゴン、コインロッカー、自販機などというものを映画の重要なモチーフに選んでいるのです。この映画の作り手の中心には、日本を相当に知っていて、その文化に好意を持つ人がいる。

ただ、かなり知っているからこそ、「日本人からみても納得する、リアルな日本」を自分たちが描くことは困難だともわかっている。

そこで、もともと「殺し屋どうしのバトル」なんていう非現実的な話なのだから、舞台となる日本も「非現実」のほうがふさわしい――そう考えたのではないでしょうか。

その方針はうまくいった。「再構成された、空想の日本」は、映画のほかの要素とうまく調和して、魅力的な世界が生まれている。

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そして、この映画の「空想の日本」をみていると、現実の日本が少しちがってみえてくる気がします。見慣れたものがクールでたのしげな、あるいは未来的・普遍的なものにみえてくるのです。

そのように「日本がクールにみえてくる」という意味で、この映画は「ブラック・レイン」や「ロスト・イン・トランスレーション」などの系列に属するのかも。

そして「現実の日本のなかに存在する、そうした魅力をさらに磨き上げ、開花させていくといいのになあ」などとも思いました。

このアクション映画からそんなことを感じるなんて、みる前には全然思っていませんでした。

でもアクション映画だろうと何だろうと、きちんとつくられた映画は、それをみたあとに(その世界に触れたあとに)、「現実」が少しちがってみえるものなのでしょう。

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