そういちコラム

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命を縮めるほど精一杯だった・トキワ荘のマンガ家たち

画家や作家には、長寿の人の大勢います。でも、マンガの基礎をつくった巨匠には、長生きしなかった人が目立ちます。

亡くなった歳は、手塚治虫、60歳(1989年)。藤子・F・不二雄、62歳(96年)。石ノ森章太郎、60歳(98年)。赤塚不二夫、66歳で病に倒れ、6年間の入院の末、死去(2008年)。

この人たちはみな若いころに「トキワ荘」で暮らしたマンガ家です。そのなかには、先日(4月7日)88歳で亡くなった藤子不二雄Aさんのような比較的長生きの人もいます。

でも、トキワ荘出身のマンガ家には短命だったケースが、とくに活躍した人にやはり多いように思います。藤子Aさんも活躍した巨匠ですが、これは例外的ではないかと。

彼ら――トキワ荘のマンガ家たちは、20歳頃から、締切りに追われながら睡眠や食事の時間を削り、ひたすらアイデアを練って描くことを何十年も続けました。

例えば、ずっと前にNHKのドキュメンタリー(86年放送)でみた50歳代の手塚は、出前のチャーハンを夜食に徹夜で机に向かい、タクシーの中でも原稿を描いていました。こういう生活が命を縮めたのです。また赤塚のように、中年期からはストレスで酒におぼれてしまったケースもあります。

彼らほどハードな仕事を30年40年続けたクリエイターは、ほかの分野ではまずみあたらないように思います。

それだけマンガの発展期のエネルギーはすごかったのです。

長く生きて晩年も描き続けた藤子A先生は、すばらしい。一方で、多くのすぐれた仕事をして50歳60歳まで生きたなら、それはやはりすばらしいことだと思います。

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