そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

すぐれた読みやすい自伝・坂本龍一『音楽は自由にする』

今年3月に亡くなった坂本龍一さん(1952~2023)の自伝『音楽は自由にする』(新潮文庫)を読みました。2009年に新潮社から出版された単行本を、つい最近(2023年5月発行として)文庫化したもの。

編集者の鈴木正文さんを聞き手として坂本さんが語ったことを、インタビューとしてではなく、「ひとり語り」としてまとめています。

本書は、1人の音楽家の歩みを生き生きと伝える、すぐれた自伝だと思います。「現代日本人の自伝」の傑作といえるかもしれません。

そして、きめ細かく編集された、読みやすい本です。たとえば、各章がかなり短く区切られているのは、多くの人にとって読みやすいはず。

また、坂本さんが接したさまざまな人物(ミュージシャン・芸術家・作家・思想家など)とその作品や、昔の社会的な出来事が出てくるのですが、それらを各章の末尾の注釈で説明しているのは親切だし、勉強にもなります。

***

この本から私が受け取った最大のメッセージは、

1人の傑出した人物は、多くの人からさまざまなものを主体的に学び取り、努力する人のなかから生まれる

ということです。「努力」というのは「新しい何かを先人の遺産に加えようとする努力」です。

このような受けとめは、月並みかもしれません。しかし「坂本さんの人生は、まさにそうだ」と私は思ったのです。

坂本さんも、本書の「あとがき」でこう述べています。

“ぼくが「音楽家でござい」と、大きな顔をしていられるのは、ひとえにぼくが与えられた環境のおかげだ”

“ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。それを授けてくれたのは、まずは親であり、親の親であり、叔父や叔母でもあり、また出会ってきた師や友達であり、仕事を通して出会ったたくさんの人たち、そして何の因果か、ぼくの家族になってくれた者たちやパートナーだ。それらの人たちが57年間〔本書の単行本出版時の坂本さんは57歳〕、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている”
(本書322ページ)

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こういう「今の私があるのは、みなさまのおかげです」的な話を、社交辞令的に言う人もいるかもしれません。しかし、この自伝はちがいます。

坂本さんは本書で「ぼくが与えられた環境」について、熱心に多くを述べています。「環境」とはつまり、坂本さんにいろんなものを与えてくれた人たちのこと。

少年時代であれば、つぎのような人たち。

まず、教育熱心で、息子をピアノや作曲を学ぶ私塾へ通わせたお母さん・坂本敬子。お母さんは帽子デザインの仕事もしていた。ピアノは3歳から、作曲は10歳から学び始めた。

お父さんの坂本一亀(かずき、1921~2002)は、著名な文芸編集者だった。坂本さんによれば「遊びらしい遊びもせず、ただ本のことを夢中になって考えていた人」(151ページ)だったという。

貧しい境遇から立身出世を果たした祖父は、たくさんの本を買い与えてくれた(それらの本を坂本少年はあまり読まなかったけど)。クラシックのレコードをいつも貸してくれた親戚の叔父さんもいた。

そして、ピアノや作曲の基礎を教えてくれた先生方。ピアノの徳山寿子先生は、坂本少年が作曲家・松本民之助のもとで学ぶことを強く勧めてくれた。

また、坂本さんが影響を受けた、さまざまな作品。ドビュッシーの音楽は少年時代に出会った「原点」といえる。ビートルズにも衝撃を受けた。ジャズ喫茶にも高校生のうちから通った。

高校時代に初めて読んだ吉本隆明、埴谷雄高(はにやゆたか)といった思想家の著作や、ゴダールなどの映画作品も、音楽以外における「原点」だった。

それらの人物・作品の多くは、周囲の人たちから影響・刺激を受けて知ったのです。

中学・高校時代の親友や、友人のように語り合ったという高校時代の恩師のことも、坂本さんは述べています。

***

このような坂本さんの少年時代は、たしかに「恵まれていた」といえるのですが、一方で「案外ふつう」だと私は感じます。「文化的に恵まれた中流家庭」という、ある社会的階層の常識的枠内に収まるという意味で、「ふつう」なのです。

しかし、出会ったものから主体的に・貪欲に吸収し、自分の成長や活動につなげていく坂本さんの力は、幼少期から並外れたものでした。

だからこそ、少年時代の回想にしても、これだけ多くの「与えてくれた人たち」のことがきちんと述べられているのです。

***

そして、1970年に東京芸術大学作曲科に入学して以降、つまり青年期に入ると、坂本さんの成長力・活動力はさらに開花していきます。大学でも大学の外でもさまざまな文化を貪欲に吸収していったのです。

まず、前衛的な現代音楽から日比谷野音などでのロックコンサートまで、多くのライブに足を運んだ。当時の東京芸大作曲科で、ロックコンサートに行く学生はほかにいなかった。

坂本さんは、芸大のなかでは音楽系の学生よりも、美術系の学生と意気投合することが多く、彼らから前衛芸術についていろいろ教わった。美術系の学生には演劇をやっている人もかなりいたので、アングラ演劇を見に行くようにもなり、演劇の音響を手伝うこともあった。

演劇関係の人たちと新宿のゴールデン街にも出入りした。ゴールデン街では、それまで縁のなかったフォーク系のミュージシャンと知り合った。フォークシンガー・友部正人のツアーにピアノ奏者として参加し、各地を回った時期もあった。

そして、次第にフォークやロックのライブにおける「助っ人」として、多くの依頼が来るようになっていった……

また、芸大作曲科のアカデミックな教育内容にはあまり興味はなかったが、尊敬する作曲家・三善晃の授業は、強く希望して受講した。民族音楽の研究者・小泉武夫の授業にも欠かさず出席した。

電子音楽にも強く興味を持った。その関連でコンピュータについても知りたいと思い、いきなり東工大のとある研究室を訪れてコンピュータをみせてもらったことも。

以上の合間に、学生運動のデモにも参加した……このような坂本さんの大学生活は、大学院(修士)時代の3年間も含め、1977年まで7年間続きます。

***

そして、坂本さんにとって人生最大といえる転機は、1970年代後半における、細野晴臣さん、山下達郎さんなどの、のちに日本のポップ・ミュージックの巨匠となる人たちとの出会いでした。

細野さんたちに対し坂本さんがとくに感嘆したのは、この人たちが系統だった音楽教育を経ていないにもかかわらず、音楽について自分と合致する感覚を持っていたことでした。

つまり、坂本さんは細野さんの音楽を聴いて「この人は(自分が影響を受けてきた)ドビュッシーなどの音楽を十分わかったうえで、こういう音楽をやっているのだろう」と、まず思いました。影響を受けたと思われる箇所が、随所にみられたからです。

しかし、細野さんはその手の音楽をほとんど聴いていていなかったのです。

坂本さんは、このようにまとめています。

“つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました”
(146ページ)

そして、坂本さんはそれまで追究してきた、前衛的な現代音楽などのアカデミックな世界から離れ、ポップ・ミュージックの世界へとすすんでいきました。

この「転機」について、坂本さんはこう述べています。

“〔現代音楽というのは〕日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽〔ポップ・ミュージック〕の方が良い。しかもクラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏曲はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれに劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当に面白いことなんだと、ぼくははっきり感じるようになっていました”
(146~147ページ)

***

私は本書のいろんな箇所に感心したり感動したりしたのですが、なかでも以上の「“同じ言葉を持つ人たち”との出会い」について述べたところは、最も感動しました。

そして、たしかにそれは坂本さんの人生において最も大きな出会いだった。また、日本や世界の音楽にとっても、大きな出会いだったのです。

その後の坂本さんは、ポップ・ミュージックの仲間たちから、急速に多くのことを吸収していきます。同時に、自分が持っている多くのことを仲間や聴衆に与えていきました。

坂本さんが大学院を卒業した翌年、1978年2月にはYMOが結成されます。

そして坂本さんのソロ・デビューアルバム(ポップ・ミュージックの作品)『千のナイフ』が発売されたのは、同年10月。YMOのデビューアルバム発売は同年11月のことでした。

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私は、特別なファンではありませんが、坂本龍一というアーティストに多少とも関心を持ってきました。しかし、詳しく知っているわけではない――そんな私のような人は、ぜひ本書を読むといいでしょう。クリエイティブの世界全般に関心のある人(とくに若い人)にも、本書はおすすめです。

そして、コアなファンや、専門的な人たちにとっても、この自伝は「坂本龍一についての最も重要な伝記的資料」といえる。

文庫で手軽に読むことのできる本書、おすすめです。 

 

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生成型AIは「人間の精神」と「外界」のつながりを歪めるかもしれない

ChatGPTに代表される生成型AIというのは、情報の検索や整理、アイデアの検討などに役立つ道具です。そういうものとして使いこなせる人は、ぜひ使えばいいと思います。

その一方でChatGPTは「人間の精神・認識」と「外界」の関係をかく乱したり、歪めたりする恐れがある道具だとも思います。

人間の精神・認識と外界の関係を歪めるリスク――これが生成型AIの「負の側面(副作用)」の本質的なところではないか。

生成型AIの負の面については「人間が考えようとしなくなる(創造性が後退する)」「創造的活動が機械に侵食される」といったことがよく言われます。

それはそれでまちがっていないでしょう。しかし、「人間の精神と外界の関係」という視点でみれば、ことがらの本質・構造がさらに明確になると、私は思います。

まず、大上段に「人間の精神・認識は、根本的に、どのようにして成立しているのか?」ということを確認しましょう。そういう作業をしたうえで、生成型AIのことを考えてみたいのです。

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ここでいう「精神・認識」とは、知性や感情などの人間の精神活動全般をさしています。私が若い頃に独学した哲学の流派では「認識」といいます。以下、単に「認識」といいます。

その「哲学の流派」というのは、昭和の戦後に活躍した哲学者・三浦つとむ(とその弟子・南郷継正)の認識論・言語論です。

現代の学者が三浦つとむをひきあいに出すことは、まずありません。でも「三浦つとむは、今もあなどれない」「AIのことは、三浦認識論を使えばもっとよくわかる」と私は思っています。

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その哲学の流派(三浦学派)によれば、「人間の認識は、外界の反映」です。

外界とは、私たちが存在するこの世界の実在のこと。

つまり、私たちが生きているなかで外界についてみたり触れたり味わったりして得た感覚的な刺激・情報をもとに、私たちの「認識」は形成される。

別の言葉でいえば、「認識」はさまざまな「像」の集合体です。

では「像」とは何か。とりあえずは「頭のなかに浮かぶイメージ・感覚」と理解すればいいでしょう。

「像」には具体的で明晰なものもあれば、抽象的なものもあります。また、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚など、さまざまな感覚に基づいて「像」は形成されます。

たとえば私たちの「水」という概念(「像」の一つのあり方)は、どのようにして形成されるのか? 

それは、生まれたときからくりかえし、さまざまなかたちで「水」に接することによってです。

水をのんだり、蛇口をひねって出てきた水に触れたり、川の流れを眺めたり、その流れに足を踏み入れたり、プールで泳いだり……

そういう「(水という)外界の実在」についての五感をとおした経験を総合して、私たちのなかに「水」という概念(像)が生まれるわけです。

なお、言語というのは、そのような「概念」を、一定の言語規範(語い・文法)にもとづいて、音声や記号と結びつけたものです。

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以上は、話を大幅に単純化しています。詳しくいえば、認識は、単なる外界の反映ではありません。

私たちは外界を、常にある種のフィルターやレンズを通してみているので、そこにはさまざまな取捨選択や歪みが生じています。

「みれどもみえず(あるはずのものがみえない)」「柳の下の幽霊(ありもしないものがみえる)」といった、ことわざ的な現象は、人間が「自分のフィルター」をとおして世界をみているからこそ起きるのです。

また、人間は自分の頭のなかで「像」を加工して新たな「像」を形成すること、「像」と「像」の合成のようなことも絶えず行っています。

そのような新たな像の形成は、一応は外界とは切り離されて行われますが、最も基本的な素材となる「像」は、外界の反映として形成されたものです。

以上のようなこともありますが、ここでの議論では「認識は外界の反映」という基本を、まずおさえればよいでしょう。

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ここまでをまとめると、人間の認識はつぎの流れで形成されているということです。

外界→認識  *認識とは像である

そして、私たちが言語表現をする場合には、頭のなかの「認識(像)」を表現しているのです。

つまり、こういう図式が、おおまかな全体像としては成り立つでしょう。

外界→認識→(言語)表現

以上は言語表現にかぎらず、ビジュアルの表現でも音楽表現でも同じ構造が成り立つのですが、やや説明が要るかもしれません。ここでは、比較的イメージしやすい「言語表現」に話を限定します。

そして、言語表現(文章・発言)を読んだり聞いたりするとき、私たちは上の図式の過程を逆にたどろうとするわけです。

つまり、言語表現から書き手・話し手の認識を読み取ろうとする。そしてさらにその認識の背後にある外界のあり方を理解しようとする。図式で書くと、こうです。

言語表現→認識(→外界)

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さて、ChatGPTのような生成型AIによる言語表現(文章)は、以上のような「外界→認識→(言語)表現」という全体構造を有しているでしょうか? もちろん否です。

私たちが「水」という言葉を発するとき、その背後にはぼう大な五感を通じた外界に対する経験がありますが、ChatGPTが「水」と出力したときには、それは「無い」わけです。

ChatGPTの言語表現の全体構造は、こうでしょう。

言語表現のぼう大なデータ→文章

上記の「→」のところでは、高度のデータ処理のプログラムが働いているわけです。それは「単語や、単語を構成する要素どうしの関連性に基づいて、文章を組み立てる」というものだそうです。

つまり「表現→表現」という構造になっているといってもいいでしょう。

***

以上のことは「あたりまえ」と思うかもしれません。

でも、「文章」のアウトプットが非常によくできていて、人間が書いたものと区別がつきにくいレベルだと、この「あたりまえ」を人間は感覚的に見失ってしまう傾向があります。

つまり、「データ→文章のアウトプット」にすぎないものを「外界→認識→(言語)表現」と同じように扱ってしまうのです。

なぜそうなるかといえば、子どものころから文章などの言語表現に対して、つねにそのような姿勢で「読む」ことを訓練してきたからです。「文章(言語)の背後にある認識と、さらにその背後にある外界を読み取る」ことを、習慣づけてきたからです。

しかし、ChatGPTが生成・出力した文章の背後には、「認識」も「外界」も存在しません。少なくとも、人間による言語表現と同じようなかたちでは存在しません。

***

とはいえ、ChatGPTが生成する文章の素材となるデータのかなりのものは(現時点では)人間が書いたものでしょう。だから、ChatGPTが書く文章は、そのかぎりで人間の「認識」や「外界」と一定のつながりを持っています。

そこで「もっともらしい」「人間が書いたような」文章ができあがるわけです。

しかし、そのようなChatGPTの「外界」とのつながりは、間接的できわめて弱いものだと、私は思います。

なにしろ「“外界”から形成された“認識”を表現した“言語”を素材のデータとしている」という、幾重も過程を経たうえでの「外界」とのつながりに過ぎないのですから。

くりかえしますが、私たちが「水」というときの「外界の反映としての像」が、そこ(AI)には存在していないのです。

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このようなAIのあり方に対し、私たちは「自分の言葉が、自分の経験=外界のあり方に照らして正しいかどうか」を絶えずチェックしながら、言葉を発する傾向があります。

なかには「狂った状態にある」「判断力が弱く、歪んだ思考をする」という人もいますが、平均的には「外界と自分の言葉の照合・チェック」をつねに行っているわけです。

これを日常語でいうと「常識がある」ということです。

ChatGPT(少なくとも現行レベルのもの)には、外界との照合・チェックをふまえた「常識」がありません。しかし、並外れた語い力や表現パターンの引き出しを持ち、整った文章を出力する能力がある。

だから、外界と照らし合わせれば「でたらめ」で「狂った」内容であっても、正しい内容のときと同じように、「平気で堂々と」出力してくるわけです。

たとえば「明日〇〇区内でランチをしたいけど、おすすめの店は?」という問いに対し、ChatGPTがありもしない店をもっともらしく紹介したりすることがある。

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しかし前にも述べたように、人間というものは、その言語表現(文章)から書き手の認識やその背後の外界の事実を、素直に読み取り、受け取ろうとする傾向があります。つまり、それらしい話を「うのみにする」ということです。

そのような傾向は、その文章が扱う領域での経験値が低い人ほど強いでしょう。とくに子どもはすべての領域において、それがあてはまります。

そして、ChatGPTの出力が「正しい」ならそれでもいいわけですが、「誤り」「でたらめ」であっても、認識や外界のあり方を素直に読み取ってしまうことがあるわけです。

***

そのような「事故」はChatGPTのようなAIが普及するほど、増えていくでしょう。

たとえば、でたらめな「史実」「法解釈」「技術」「医学」、さらには存在さえしない何かの知識を振り回して、専門家や識者に対し「お前はまちがっている!」と堂々と主張する人が増えていくわけです。

学校でも、先生に対し同様のことをする児童・生徒が続出するでしょう。

こうしたことは、ネット上で「フェイク」といえる情報が氾濫した結果、すでにかなり起きていますが、生成型AIの普及で、さらに拡大するのではないかと私は思います。そして、すでにそれは始まっているようです。

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以上をまとめると、最初に述べた、つぎの問題(生成型AIの負の側面)がある、ということです。

「認識」と「外界」の関係をかく乱したり、歪めたりする恐れ

「外界」ときわめて弱いつながりしか持たない情報(生成型AIによる出力)をもとに「外界」を理解しようとする営みが増えれば増えるほど、こうした問題は一般化するでしょう。

そして、「人間の認識は外界の反映によって成立する」のです。

だとすれば「認識と外界の関係が歪む」ことは、人間の認識・精神に根本的な影響をあたえるということです。少なくとも局所的には、その恐れがおおいにあるのではないか。

その「根本的な影響」を一言でいえば、「外界の客観的なあり方を無視・軽視する傾向が強まる」ということです。

「外界と接点を持たないのに、語りや文章はやたらと上手い」という存在と無反省に深く付き合えば、そうなるのは避けられない。

以上のような基本的な見立てで、私は今後の生成型AIについてみていくつもりです。一方で、情報の検索や整理などに、この道具をうまく使えないものかとも考えています。

 

関連記事 三浦つとむについて

モハメド・アリ 私たちに多くを与えてくれたアスリート

6月3日(この記事をアップした日)は、ボクサーのモハメド・アリ(1942~2016、アメリカ)の命日です。このブログでは、コンテンツの一部として、その誕生日や命日などに偉人を紹介する記事をたまにのせています。

モハメド・アリは、ボクシング史上最も有名なボクサーでしょう。それは強かったからだけではありません。強さや戦績だけなら、彼に匹敵する人はほかにもいます。

アリはローマオリンピック(1960年)で金メダルを獲得したのち、プロデビュー。そして、ボクシングの「華」といえるヘビー級に新しいスタイルを持ち込みました。

彼以前のヘビー級は「大男の豪快な殴り合い」が基本でした。どっしりした、パワーとパワーのぶつかり合い。

アリは、そこにフットワークやスピードなどの軽量級の洗練されたテクニックを導入したのです。彼以後、ヘビー級のボクシングは大きく変わります。そんな変革者だったからこそ、長く名を残したのです。

あるアメリカの識者はこんなふうに評しています。「ボクシングという本来なら華麗であるべきわざが、絵に描いた船のように嘘っぽい様相を呈していたまさにその時、ひとりの新たなヒーローが、海からその(嘘っぽい)船を引き揚げるタグボートのようにあらわれた」と。

つまり、沈滞していた1960年頃のボクシングを、アリは刷新したのです。

そして、自分のボクシングを「蝶のように舞い、蜂のように刺す」などと表現しています(これは他人の言葉をアリが採用したもの)。

自分の分野で新しい何かを構築するとともに、それを上手い言葉で表現する。どんな分野でも、名を残す人の大事な要素です。

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そしてさらに、アリはすぐれたボクサーであるにとどまらず、文化や社会にインパクトを与える、すぐれた表現者・コミュニケーターでした。

たとえば、彼はもともとはカシアス・クレイという名前でしたが、イスラム教(ブラック・ムスリムというアメリカ黒人が主体の社会的宗教活動)に接近して入信し、1964年にイスラム教徒としての名前であるモハメド・アリに改名しています。

クレイという「奴隷時代から受け継いだ名前」は、自分の真の名前ではない、というのです。

これに違和感を感じる人は多くいました。しかしそこには「俺は自分のなりたい者に自由になれるんだ!」というメッセージがこめられている、ともいえるでしょう。

そして、1967年には、チャンピオンとして脂がのっていたまさにその時期に、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことで、キャリアを中断しています。

彼の行為は当時、アメリカ国内では多くの非難を浴びました。しかし、このときに彼が言った「俺はベトコンには何の恨みもない」という言葉は、やはり意義深いものだったのではないでしょうか。

*「ベトコン」は、アメリカが支援する側のベトナム政府の敵方である社会主義勢力、最終的にベトナム戦争に勝利した側

この徴兵拒否は、大きな代償を伴うものでもありました。アリは徴兵拒否によって有罪となったことを理由に、タイトルやライセンスをはく奪されてしまったのです。

その後、1971年には最高裁で有罪判決が覆され、アリはボクシング界に復帰できました。

そのとき「訴訟を起こして奪われたタイトルを取り返す」ことも可能だったはずなのに、彼はそれは行わず、試合に勝つことでタイトルを取り戻したのでした。

そして、1996年のアトランタオリンピックの開会式で、彼がトーチに火をともす姿。

パーキンソン病を患っていた彼の身体はたしかに不自由な様子で、手も震えていた。その姿を「最強のチャンピオン」だった男が全世界にさらしている。

それもまた、言葉にしがたい強烈なメッセージでした。

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月並みなまとめかもしれませんが、これほどまでに「生きざま」が社会に対する強いメッセージを発するアスリートは、彼以外にはまずいないように思いますが、どうでしょうか?

現役の頃のアリには「ボクシングは強いけど、おしゃべりな、おさがわせ男」というイメージもありました。少年時代から若い頃の私(今50代後半)も、ばくぜんとそういう目でみていました。

しかし、時が経ち、彼が亡くなってしまった今振り返ると、ちがいます。

「これだけ多くのことを私たちに与えてくれる偉大なアスリートは、もうあらわれないだろうな」と寂しい気持ちになるのです。

いや、そういう偉大なアスリートは、今もいて、これからもあらわれるのかもしれません。ならば、アリはその「元祖」だといえます。

(参考文献:徳岡孝夫監訳『TIMEが選ぶ20世紀の100人・下巻』アルク 所収のジョージ・プリンプトン執筆「モハメド・アリ」の項)

 

当ブログの偉人関係の記事の一部

チャップリン・独創ではないからこそ長く残った

山高帽、ダブダブのズボン、大きなドタ靴、ちょびヒゲ。「喜劇王」といわれた俳優・映画監督チャーリー・チャップリン(1899~1977、イギリス出身、おもにアメリカで活躍)のおなじみの扮装です。

でも、この扮装は彼の独創ではありません。その各パーツは、当事人気のあったコメディアンの影響を受けたものだといいます。

研究家によれば、ズボンと帽子は誰から、靴は誰から、ヒゲは誰から、というふうに特定できるのだそうです。

「独創ではないからダメだ」というのではありません。ただ彼は、いきなり生まれた天才などではなく、先輩たちの遺産を集大成した存在だった、ということです。

独創ではなく、多くの先人の肩に乗っていたからこそ、高いレベルのものを生み出し、長く残った、ともいえるのです。

どんな分野でもとくに大きな仕事をした巨匠の多くは、一点突破的に鋭い独創性を発揮した人ではなく、その分野の「集大成」をした人ではないかと思います。チャップリンにもそれがあてはまります。

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今日4月16日はチャップリンの誕生日。そこでこのような短いチャップリンの「偉人伝」をアップしました。

このブログでは、たまにその誕生日などに、偉人を紹介する記事をのせています(この記事のような短いものも、数千文字のかなり長文のものもあります)。

チャップリンの『自伝』や評伝は、おすすめです。心に響くエピソードや名言がいろいろとみつかることでしょう。

この記事で書いたことは、まあ「比較的述べられていないこと」を書いた次第で、チャップリンのすばらしさのなかでは「傍流」といえるかもしれません。「本流」のところは、ぜひご自分の読書で。

 

参考文献

最近の記事における偉人・歴史的著名人の紹介

私の著書 400文字程度の短い「偉人伝」が100余り載っています

四百文字の偉人伝

四百文字の偉人伝

Amazon

子どもたちの楽しみにおける「物語」の地位低下

「今の子どもに“物語”の楽しさや価値を伝えたい」――これはこのあいだ少しお話することがあった、ある若い国語の先生が述べていたことです。

この先生は、つぎのような話をされました。

今の子どもは、自分が子どもだった頃(10年~10数年前)以上に、インターネットの短い動画やゲームの影響が強い。じっくりと小説やマンガの物語を味わう読書の経験はもちろんのこと、テレビでアニメを観ることさえ減ってきている(「マンガを読むのは今や立派な読書」ということ)」

「たしかに、ゲームのなかには物語の要素を含むものもないわけではない。しかし、子どもたちが興味を持つコンテンツにおいて“物語”の占める地位は確実に低下している……」

しかし先生によると「素材の選び方・伝え方しだいで、子どもたちが“物語”にしっかりと関心を寄せてくれることもある」とのこと。

これは、古典的な文芸作品のエッセンスを紹介する授業を行うなかで実感したのだそうです(その実践の中身については、先生自身がいつか発信されるでしょう)。

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子どもたちの楽しみにおける「物語」の地位低下――これは、子どもをおもな対象にした書道教室を営む、私の妻から聞く今の子どもたちの様子ともつながります。

妻から聞く話では、子どもたちが基本的には元気で、やわらかい心でいろいろ吸収し成長する様子はもちろん伝わってくるのですが、その一方で「いろんな予定で忙しく、かなり疲れている」様子もうかがえます。

多忙な日常を送る今の子どもたちのあいだで、とっつきやすい動画やゲームが気晴らしの中心になるのは、当然のことです。

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妻の書道教室の片隅には、小さな「子ども文庫」の本棚が設置されています(おもに私そういちが本を揃えたので「そういち文庫」と名付けた)。

そこにある本を手に取る子はたしかにいるのですが、その人数は限られます。いろんな事情で「本を手にする時間がない」ということが、やはりあるようです。

「いろいろ忙しい」というのは、それだけ文化的・経済的に充実しているということではあります。

しかし、40~50年前に子どもだった私としては――習い事や課外活動を多少はしていたものの、さして忙しくもなく、放課後はおもにブラブラしていた私のような者からみれば「今の子どもはたいへんだなあ」と思ってしまいます。

***

そして、ヒマな時間のなかで物語にじっくり触れて、ぼんやりといろんなことを考える――そういう経験が子どもたちのあいだで減っているとしたら、これは結局のところ文化の衰退につながるのではないか。

「物語」は文化の一面ではありますが、さまざまな学問・芸術の土台ともいえる根源的なものだと、私は捉えています。

人間形成の基礎のところでじっくりと物語に触れる体験もないまま大人になる――そういう人ばかりになったとしたら、そんな社会ですぐれた文化が育つはずはありません。

また、ここでは立ち入りませんが、人びとの「物語」に対する経験値・素養のレベルが低下するほど、病的な妄想といえるような「劣悪な物語」が社会ではびこる隙が生まれるはず(すでにその傾向がみられる)。

そして、現代の高度な文明社会では、その国の文化力は、経済力や政治・行政のレベルにも直結しています。

世界で評価される製品・サービスの創造や、効果的な政治・行政の活動を支えるのは、豊かな発想・イマジネーションです。そしてそれは、要するに「文化力」です。

もちろん、今の社会でも、豊富に物語に触れている子どもはいるはずです。でも、それは恵まれた少数派ではないか。社会のすう勢は「物語の衰退・地位低下」のほうに傾いている。

また、それは子どもたちだけのことではなく、「現代の大人のあり方が子どもたちに影響している」ということなのでしょう。

***

社会全体のあり方として「子どもたちの多くがじっくりマンガやアニメ(最もとっつきやすい物語)を楽しむ時間的・精神的余裕さえもない」という状況は、国の衰退をおおいに後押しすると、私は思います。

そしてこのような状況は、個々の親御さんの自分の子どもに対する想い――「エリート・成功者になってほしい」あるいは「豊かで幸せな人生を送ってほしい」といった願いにも反しているわけです。たくさんの時間や労力を費やしているにもかかわらずです。

成長過程でその年齢なりに「物語」に十分に触れて育った子どもたちは、社会で創造的に・豊かに生きていくうえで一定の優位を得ると、私は思います。

そして、今の社会ではその「優位を得る子ども」と「そうでない子ども」の格差は確実に広がっている、とも感じています。

 

書道教室の「そういち文庫」で本を読む子

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「個の力を削ぐもの」を除去するリーダー・2人の代表監督の仕事ぶり

組織のリーダーの重要な役割として、次のことがあると思います。

「“メンバー個々人が能力を発揮するうえで妨げとなる要素”が組織のなかで大きくならないように、その発生を抑えたり、小さな芽のうちに除去したりすること」

これは、サッカーワールドカップとWBCの、それぞれの日本代表監督の様子を伝える報道をみて思ったことです。森保監督と栗山監督のリーダーシップは「組織から“個の力を削ぐもの”を除去する」ことが大きなテーマだったと。

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2人の監督の共通性は、いろいろあるようです。

まず選手への細やかな気遣い。森保監督は代表の合宿所から(それぞれのスケジュールで)自分のチームに戻る選手が出発するとき、その都度見送りをしたそうです。

今朝のテレビ朝日の「モーニングショー」によれば、ヌートバー選手が初めて日本代表の合宿所に到着したとき、彼の部屋には監督からのあたたかい・丁寧なメッセージが置かれていたとのこと。ヌートバー選手(きっと緊張していたはず)はおおいに感激し、「チームのために全力を尽くす!」とあらためて誓ったのでした。

2人の監督は、こうした気遣いを日常的に・随所で行っていたのでしょう。

また、日ハム監督時代からの栗山監督の特徴として、「選手が大事なところで三振してもエラーしても、決して叱責しない」ということがあるそうです。これも、今朝の「モーニングショー」で知りました。

多くの選手に各々それなりの出場機会を与える「全員野球」(今回のWBCでは代表30人中29人が出場)も、栗山采配の特徴だったといいます。

「全員で」ということは、森保采配でも特徴だったはずです。

昨年のワールドカップのとき、あるサッカー解説者がこんなことを言っていました――「“全員で勝つ”と言う指導者はかなりいるが、そういう人が結局一部の選手ばかり起用することは多い。森保さんみたいに本当に“全員”を実行する人は少ない」と。そんなことを今、思い出します。

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私そういちは、かなりの年齢を重ねながらも「リーダーシップ」を実践する能力も意志もない人間です。そんな私がリーダーシップを語るのは恥ずかしい気もします。

でも、2人の監督の話を見聞きして「これは現代の日本で必要なリーダーシップのあり方だ」と言いたくなったのです。

リーダーがしっかりと自分をみてくれていて、丁寧に語りかけてくれる。

リーダーのエゴや不用意な言動にプライドを傷つけられることはない。リーダーの態度がそうであれば、メンバー同士で傷つけあうことも少ない。

リーダーが、どこかで自分をふさわしいかたちで起用してくれると期待できる。個々のメンバーが「自分はリーダーに信頼されている」と感じることができる……

以上は、2人の監督のリーダーシップの一端にすぎないかもしれませんが、とにかくそれを構成する要素だと思います。

***

たしかに、こういうリーダーシップが発揮されている組織では、メンバーは「チームの目的に奉仕しよう、チームのために自分ができることを精いっぱいやろう」という気持ちが心底強くなるはずです。そして、自分の実力を発揮しやすくもなる。

こうしたリーダーシップのあり方を私なりにまとめれば、

「“個の力を削ぐもの”を除去する」リーダーシップ

ということになります。

私たちが大きなこと・高度なことを成し遂げるには、組織の力は必要です。しかし、組織というのは一般に個人に対しさまざまな制約・抑圧を加えてくるものです。そのなかでメンバー同士の足の引っ張り合い・傷つけあいも起きる。

そうして、個人の資質が組織の力学のなかでおさえつけられ、本来の力は発揮されなくなる……

これは、組織で働くほとんどの人が経験していることなので、多くの説明は要しないでしょう。組織のなかで生じる「個の力を削ぐもの」を、私たちはさんざん経験してきたはずです。

***

現代の2人の名監督は「“個の力を削ぐもの”を除去する」ことに対し、強い意志や信念で取り組んだのだと、私は思います。完全に理想的にできたかどうかはともかく、その意識を強く持って仕事をしたはずです。

これはもちろんいわゆる「管理主義」ではないわけですが、「自由放任でのびのびやらせる」というのともちがうでしょう。

「自由にやらせる」というリーダーシップの実態が「組織の仕事やメンバーに対する無知・無関心」に堕してしまうことは、往々にしてあるはずです。

これに対し2人の監督のリーダーシップは、高度の専門性に基づいて、個々のメンバーの行動や認識にきめ細かく分け入ろうとするものです。つまり「“自由放任”を掲げた無知・無関心」とは対極にある。

***

しかしながら、ここでいう「“個の力を削ぐもの”を除去するリーダーシップ」にも限界があるかもしれません。

たとえば、このリーダーシップは、日本代表のような超人的メンバーの集まりだからこそ有効であって、未熟でモチベーションの低い集団にはもっと別のリーダーシップが必要になる――そんなことも考えられるとは思います。

しかし一方で、世の中のたいていの組織・チームは、サッカーや野球の日本代表ほど高度の活動・目標を課されてはいないはずです。

そうであれば「“個の力を削ぐもの”を除去する」ことで、超人ではない「凡人」たちが持てる力を解放・発揮し、組織の(それなりの)目標をみごとに達成することは、あり得ると思います。

「“個の力を削ぐもの”を除去する」ことは、その効用に限界はあるはずです。それでも組織のマネジメントにおいて、とくに日本の組織において、これからおおいに重視されるのではないかと思います。

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久しぶりに(テレビで)野球観戦・ムダな時間を心ゆくまで楽しむ

今回のWBCで、私は久しぶりに野球の試合を(テレビの中継ですが)心ゆくまで楽しみました。

今50代後半の私は、子どもの頃(1970年代~80年頃)には、よくプロ野球のナイター中継をみたものです。とくに野球ファンというわけではなかったのですが、野球をテレビでみることは、日常的なあたりまえの楽しみの一つでした。そしてスポーツ観戦といえば、まず野球だったのです。

でも社会人になって忙しくなると、野球をみなくなりました。とくに30代以降、会社勤めの仕事以外にも自分の好きなことでいろいろ活動するようになってからは、そうです。

大人になってからの私には「スポーツ観戦は、時間のムダ」という意識がつねにありました。

スポーツ観戦は自分が何かを生み出す活動ではないし、自分の関心のある分野(たとえば著作を出版したこともある世界史など)とも関係がありません。人がやっている野球の試合に3時間も4時間もつき合っているヒマはない――そんな思いがあったのです。

***

しかし、50代後半になった今、私はかなりヒマになりました。フルタイムの仕事はしておらず(週2~3日大学で就活支援のカウンセラーの仕事をするくらい)、だいたい家にいて、おもに読んだり書いたりする日々。

時間に余裕があるせいか、今回のWBCの日本代表の試合は、決勝戦までほぼ全部みてしまいました。子どもの頃はプロ野球ファンだった妻(「推し」は巨人の篠塚)と、侍ジャパンを応援して盛り上がりました。

それは楽しい時間でした。スポーツ観戦という「ムダなこと」を思い切り楽しむのは、やはり人生のなかの大事な時間だと思いました。

これは昨年のサッカーワールドカップで日本代表の試合をみたときも感じたことですが、今回のWBCで、さらにその意を強くしたのです。

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「そんなのあたり前。スポーツ観戦とか楽しいに決まっているでしょう」と思う方もいるかもしれません。

でも、私にはあたり前ではなかったのです。私はこの30年くらい「自分の活動・アウトプットにつながる」「これが自分の領域だ」と思うこと以外に対し、禁欲的でした。

私は20代の後半から、それまでは大好きだったマンガをあまり読まなくなりました。「そんなヒマはない」と思ったのです。

小説も、もともとそれほど読まなかったのですが、さらに読まなくなりました。音楽についても「これは自分の領域ではない」と思って、関心を深めることはありませんでした。映画館に行くことも、学生時代よりずっと少なくなりました。

その一方で「自分の領域」と思う分野やその周辺のいろいろな本を読むとともに、アウトプットに取り組む時間を増やしていったつもりです。そういう目的意識的な取り組みは、それはそれで楽しく、私の人生を豊かにしてくれたとは思います。

でも今の私は「目的意識的ではないこと=ムダなことを楽しむのもまた、人生の貴重な時間だ」という思いが強くなっています。

テレビで野球やサッカーやその他のスポーツをみたり、ときには試合の会場に足を運んだり、好きなマンガを読んだり、ドラマや映画をみたり、部屋で音楽を聴き、ときにはコンサートに行ったり……これらは大切なことなんだと。

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最近の私は、若い頃(1980~90年代)に読んだマンガ(もう捨ててしまった)のいくつかをアマゾンの中古などでまた買って、じっくり読み返すことが楽しくなってきました(たとえばマンガ版の『風の谷のナウシカ』とか)。

また、たとえばこの前の日曜日に、封切られたばかりの映画『シン仮面ライダー』(庵野秀明監督)をみた体験も「有意義なムダな時間」でした。

あの映画は、いろいろ不満のある方は当然いると思いますが、私のような年代のオジさんには、子供の頃に「ライダー」をみたときのなつかしい感覚・ドキドキ感が深くよみがえってくるところがたしかにある。

あの映画にときどきみられる(きっとあえてそうしている)玩具(おもちゃ)のような安い感じと、なつかしいドキドキ感はつながっているように思います。でも主演の池松壮亮さん・浜辺美波さんをはじめとする俳優たちの芝居は全く「安い」感じでははなく、生き生きとして魅力的でした……まあ、そんな話は何の役にも立たないし、創造的でもないわけですが、それでいいのです。

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これから私は、「ムダな時間を心ゆくまで楽しむ」のを以前よりも強化したいと思います。この30年くらいの「禁欲」をやや見直すべきだと考えるようになっています。

死ぬまでに「有意義なムダな時間」の記憶を、もっと貯めておきたい。「目的意識的に何かに取り組んだ経験」とともに、それと同じように大事なものとして。

さらに年を重ねて人生の終わりがみえてきたとき、「ムダな時間」で触れた素敵なこと、ワクワクすることを記憶の引き出しにたくさん持っていて、それをときどき思い出して楽しむことができるとしたら、きっと幸せだと思います。

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プーチンの「被害者意識による正当化」という思考回路

先日(2023年2月21日)の年次教書演説など、ロシアのプーチン大統領は「ウクライナでの紛争を煽り、犠牲を拡大させたのは、西側の権力者とウクライナの現政権だ」という発信をくり返しています。

それは要するに「自己正当化」ということですが、その「正当化」で特徴的なのは「われわれこそが被害者である」という主張です。

この「被害者意識」による主張を要約すると、以下のようになるでしょう(特定の演説ではなく、プーチンやその同調者によるいろいろな言説の要約です)。

「ロシアは西側から圧力・攻撃を受けている。それは何世紀も前からのことで、19世紀にはフランスのナポレオンによるロシアへの侵攻があり、20世紀には第二次世界大戦(ナチス・ドイツの攻撃)や冷戦(アメリカ陣営との戦い)があった」

「その攻撃は今も続いているし、これからも続く。2014年のウクライナにおける反ロシア的な政権の成立も、バックには西側がいる」

「現在のキエフ(キーウ)の政権は、ネオ・ナチ(“ナチスの後継者である邪悪な勢力”という意味)であり、ドンバス地方(ロシアが実効支配しているウクライナ東南部)などを大規模に攻撃する計画を練っていた…」

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東欧・中欧(ウクライナやポーランドなどを含む地域)を専門とする歴史学者ティモシー・スナイダーは、著書の中でこう述べています。

《二十世紀の大戦争や大量殺人は、すべて最初に侵略者や加害者が自分はなんの罪もない被害者だと主張することからはじまっている》
(『ブラッドランド』(下)ちくま学芸文庫版327ページ)

スナイダーの『ブラッドランド』(上・下、ちくま学芸文庫版2022年、布施由紀子訳)は、ソ連の独裁者スターリンによる大粛清があった1930年代から第二次世界大戦の時期において起きた大虐殺について研究した本です。

その大虐殺のおもな舞台になった東欧・中欧の地域(ポーランド・ウクライナ・ベラルーシなど)を、スナイダーは「ブラッドランド(流血地帯)」と呼んでいます。

ブラッドランドは、ナチス・ドイツとソ連が共謀して侵略(ポーランド侵攻など)を行い、のちには両国のきわめて激しい戦争(独ソ戦)が行われた地域です(独ソ戦は、ドイツがソ連に侵攻して始まった)。

本書によれば、1930年代前半から第二次世界大戦にかけての時期にブラッドランドでは、ナチス・ドイツとソ連が行った虐殺によって、1400万人もの民間人が亡くなったとのこと。

なお、ナチス・ドイツによるユダヤ人をはじめとする民間人の大量虐殺のほか、スターリン政権のソ連も、これに匹敵する大量虐殺を行っています。反体制とされたソ連の市民、占領したポーランドの人びとなどを、ソ連の当局は数百万人規模で殺害しているのです。

***

スナイダーは、こうも述べています。

《スターリンもヒトラーも、政治家生命を全うするまで自分は被害者だと主張し続けた》(下巻327ページ)

つまり、ヒトラーは「ユダヤ人や共産主義者にドイツは浸食・攻撃されている」と主張し、スターリンは「西側の資本主義国やそれと結んだ反革命分子がソヴィエト体制に脅威をあたえている」と主張し続けました。

国家の指導者――とくに大国の指導者が「われわれは被害者だ」とつよく主張するのは、非常に恐ろしいことです。大きな戦争や虐殺につながりかねない。

被害者意識は、他者への容赦ない攻撃・暴力を生む強力なバネになり得ます。

ヒトラーとスターリンはその最大の事例ですし、今回のプーチンによる戦争は、第二次世界大戦後では(被害者意識と関係する惨禍として)最大級のものといえるでしょう。

また「アジア・太平洋戦争における日本も、欧米列強に対する強い被害者意識を持っていた」と、私はみています。

***

国家・社会レベルでの被害者意識は、危険なだけでなく、根絶のむずかしい、じつに厄介なものです。

そもそも、この被害者意識には、現実的な根拠がまったくないわけではありません。だからハマってしまう人がいる。

この世界のほとんどの国・民族は、周辺や覇権国からの圧迫や攻撃、搾取をなんらかの形で受けているものです。圧倒的な覇権国でもないかぎり、被害者意識の現実的な根拠をつねに抱えているのです(一方で大抵は周辺や覇権国とのつきあいで利益も得ている)。

ロシアもこれに当てはまります。ロシアはたしかに大国ですが、世界規模の覇権国になったことはありません。ずっと西欧やアメリカの風下に立ってきた、ともいえるでしょう。

そしてナポレオンやヒトラーの侵略を受けたことは、たしかに事実です。20世紀以降、強大なアメリカとの緊張関係が続いてきたことも事実。

その一方で、ロシアは大国としてウクライナなどの周辺国に対する加害者としての歴史も持っているのですが、プーチンのように被害者意識ばかりの見方では、その点は無視するか歪めて解釈するわけです。

***

そして、この被害者意識は一度ハマってしまうと、抜け出ることがむずかしいです。被害者意識から他者を攻撃し、それで失敗してかなり痛い目にあったとしても、なかなか目が覚めない。

なぜなら、他者を攻撃すれば多くの場合、攻撃された側は反撃と怒りで応じてくるからです。そのとき、最初に攻撃した加害者は「ほら、やっぱりあいつらは敵で、われわれを攻撃しようとしていたんだ、それが証明された」と受けとめるものです。

今回のウクライナ戦争でも、プーチン的な視点に立てばまさにそういうことになっています。

「ウクライナは西側から莫大な支援を得て我が軍を攻撃している、前々から言っていたように西側とウクライナが結託してわれわれを滅ぼそうとしていたことが、これで明白になった!」というわけです。

そして、ロシア軍に多くの犠牲が出れば出るほど「ウクライナと西側は、やはり敵だった」という論理は、その筋の人たちのあいだでは説得性を増していくのです。

***

戦争や虐殺には、以上のような「われわれは被害者」という、指導者やそれを支持する人びとの思考回路が深く関わっていると、私は思います。

これは人間のなかにある、おぞましい側面についての話です。だから、あまり目を向けたくないものです。

しかし、私たちが「被害者意識による正当化」という思考回路について知っておくのは、平和のために意義があると思います。

「とにかく戦争・侵略はまちがっている」というだけでは、やはり足りないのではないか。戦争・侵略を行うときの人間の思考回路(今回述べたものだけではないはず)について、私たちは知っておくべきです。

その自覚を持つ人が増えるほど、世界における戦争の危険は少なくなるはずです。でも、まだまだ道のりは遠いようです。

*なお、ここで「危険だ」と述べているのは「国家・社会レベルでの被害者意識」です。個人レベルで現実に被害にあった人が被害者として自分の権利を主張するのとは、次元のちがう話をしています。念のため。

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「公助」を使うのも主体性・「間違った自助努力」に気をつける

自分で頑張るだけでなく、周囲や、あるいは社会による支援に頼ることをどう考えるか? 

「自助」「共助」「公助」という言葉もありますが、それらの関係や優先順位についてどう考えるか? これは、現代社会において人生に大きな影響をあたえる事項のひとつではないでしょうか。

そして、一部の中高年(とくに男性)が言うような「最近の若い者は、すぐ他人や何かのサービスに頼ろうとして、努力が足りない」といった考えは、今の社会を生きていくうえではデメリットが大きいと、私は考えます。

たしかに私も「自分ができることをまず頑張る」のは基本だと思います。そういう努力や工夫を重ねる姿勢は、すばらしいと思います。

しかし、「自助」ばかりを優先し重視する考えに凝り固まると、自分の可能性を狭め、ときに自分を危うくすると思うのです。

そんな「間違った自助努力」で行き詰ってしまう前に、周囲の人や公的なサービスから支援を引き出していく――それは人生において重要なことではないか。

***

そして「周囲や社会から支援を引き出す」のは、じつはそれなりにエネルギーやスキルの要ることです。

ほんとうに「弱い」「無力」な状況にある人にとって、「支援」を得るのはむずかしい。

たとえば支援機関、つまり公的サービスの窓口に行くことは、かなりの人にとってハードルがあります。利用のための情報にアクセスする手間やむずかしさ、心理的抵抗があったりする。

さらに窓口の担当者から望むものを得るのには、一定のコミュニケーションや姿勢が求められるものです。

窓口の担当者が親切で力量のある人なら、そのコミュニケーションのハードルは低くはなります。しかし、ハードルが全くないということはありえません。

***

「窓口に行って支援を得る」ことについてのこうした見方(その重要性とハードルの存在)は、私は昔から思っていたことですが、近年は一層強固になりました。

私は9年ほど、大学生などの若者の就職支援の相談窓口でカウンセラーとして仕事をしたことがあります(2年前にその仕事は退職し、近くまたパートタイムで再開する予定)。

その仕事のなかで、就活について「窓口」で支援を求めることに対し、不安やためらい、「恥ずかしい」という気持ちを持つ人、あるいは遠慮のある人が一定数いることを経験しました。

こちらとしては「遠慮したり恥じたりする必要はないので、どんどん我々を使って欲しい」という姿勢でコミュニケーションをとるわけですが……

その一方、適切なコミュニケーションで、カウンセラーから積極的に上手く支援を引き出す人もいる。

それぞれの方の背景・事情は私には知る由もありません。しかし「こうした違いは、その人の育った環境や受けた教育が影響しているのだろう」という推測はつきます。

そして中には、窓口でカウンセラーに接するとき、不信感や苛立ちが強く出てしまって、コミュニケーションがとりにくくなっている人もいます。

もちろんカウンセラーは、それでもきちんと対話できるように努力するのですが、やはり困難が伴います。

***

さらに世の中には「そもそも窓口に行くことができない」「窓口に行くなんて思いもよらない」という人も大勢いるわけです。

もちろん「窓口に来ない」人のなかには「そんな支援などなくても、自助や周囲の助けで十分に(就活を)すすめることができる」という人もいます。

私も、そういう人にお会いすることがありました。「自助」で活動してきた人が「複数の内定を得たけど…(どちらを選ぶか、断る会社へどう伝えるか)」といった就活の最終局面で窓口へ来ることがあるからです。

そういうとき「たしかにこういう(コミュニケーション力などのある)人は自助でやれるのだろうな」と感じることが多々あります。あるいは「周囲(友人・家族・身近な大人)からの共助をしっかりと得ることのできる環境にあるのでは」と感じることもあります。

しかし、現代において就活をすべて「自助」「共助」で適切に進めることのできる人は少数派だと、私は思っています。

たいていの人は、自分なりのやり方で「公助」(大学のキャリセンや公的な相談機関)を利用したほうが、より良いかたちで就活をすすめることができるはずです。

***

以上のように私は思います。しかし、私と同年代の中高年(とくにおじさん)のなかには「オレが若いころは、カウンセラーに相談なんかしなくても自分で就活をしたものだ、今の若いヤツらはすぐに人や窓口に頼ろうとする」などと、就活における「公助」を否定する人も散見されます。

私自身、私の仕事についてそういう意見をされたことがあります。また、私が接した学生さんのなかにも「自分の親は自分がこういう場所で相談していることを良く思っていない」と言う人が(多くはありませんが)いました。

***

私は、いろいろな公的サービス(NPOなど民間によるものも含む)がかなり発達した現代の社会では、「公助をうまく利用するのも主体性(自助)のうち」だと思っています。

たしかに「公助」の多くには使い勝手の悪さや力不足などの限界はあります。しかし、かなり(あるいはいくらかは)役に立つ場合もある。それを前提に「使えるものは使っていこう」ということです。

「必要に応じて可能ならば、公助も積極的に利用しながら、自分自身がしっかり頑張っていく」のが現代の「自助」だと、私は思います。

そして「カウンセラーに相談するなんて良くない、オレの若い頃は…」みたいなことを声高に言う人は、「公助を主体的に利用する」という現代の「自助」のあり方を否定しているように思うのです。

そんな「否定」は、若い人たちにマイナスの影響をあたえるでしょう。

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「主体的に誰かに助けてもらうスキル・姿勢」について、現代の大人は子どもや若い人に教える必要があります。

これは、たとえばヤングケアラーのような深刻な状況におかれた子どもの救済にもかかわってくることでしょう。

あるいは家庭の事情で進路の問題について苦悩する子どもへの支援や、その他さまざまな困難につきあたった子どもや若者がさらに深刻な事態に陥ることを防ぐにあたっても重要な事柄のはずです。

最近のニュースで「200~300万円の借金を抱えた若者が、借金を清算しようとネットでみつけた“闇バイト(=犯罪行為)”に応募して強盗を働いた」というケースが報じられていました。

そこにも「間違った自助」のイメージが作用しているように、私は思います(もちろんそれだけではないにしても)。

その若者は「債務について相談できる公助(国民生活センターや自治体)の窓口に行ってみよう」とは考えず、「“闇バイト”で荒稼ぎして自分で何とかしよう」と考えた。なんという間違った自助努力。

たしかにこれは極端でひどい例です。しかし「借金で困ったら、どこへどう相談すべきか」といったことは、子どもたちや若い人に積極的には知らされていない(情報が十分に届いていない)ように思います。

そして、それは「借金」の問題だけではないはずです。

素人が「科学とは何か」を考えるための本・『サイエンス・ファクト』

ガレス・レン&ロードリ・レン『サイエンス・ファクト 科学的根拠が信頼できない訳』(塚本浩司監訳・多田桃子訳、ニュートン新書、2023年)という本を読みました。イギリスの生理学者である父と、科学社会学的な分野の研究者である息子による共著。

科学とは何か、科学はどのようにして成り立っているのか、科学者は何をしているのか、科学哲学者や科学社会学者は何を論じているのか(たとえばポパーやクーンといった有名な学者はどんなことを言っているのか)……

そうしたことについて、素人の一般読書家(私のような)が幅広く知るうえで良い本だと思いました。

通俗的・断片的な知識でなくて、専門家による系統だった、より深い説明に触れることができる本です。

「おそらくそういう本だろう」と思って読み始めましたが、期待通りでした。明晰でわかりやすい翻訳によって、まさにそういう本になったとも思います。

***

私たちは科学者について、ごく素朴には「公正に真理を探究する人びと」というイメージを持っているはず。

そこで私たちの多くは「科学」の名のもとに述べていることを、ばくぜんと信頼するわけです。

しかしその一方で、「科学は信用できない」とする人たちも近頃は目立ちます。その人たちは「科学研究は商業主義や何らかの陰謀で歪められている」と言います。

そして、「科学的」と称する別の見解をひきあいに出して、主流派の科学者の説を否定する。最近の新型コロナやそのワクチンのことでは、まさにそういう構図になっていました。

この本を読むと、「科学者は聖人君子ではなく、科学者として名誉や地位を得たいという欲望や、科学界の力学に強く影響を受ける」ということがよくわかります。それが古典的な科学史の事例ではなく、現代的な事例を通して述べられているのです。

しかし一方で「問題はあるにせよ、やはり科学は基本的には信頼できる」ということも、この本からは伝わってきます。

***

本書によれば、現代科学の問題のひとつとして「評価基準によって研究が歪められている」ということがあるそうです。

つまり「その論文がどれだけ引用されたか」が研究の評価の柱になっており、それが研究の問題意識やテーマ設定に大きな影響をあたえるというのです。

たとえば、ある研究の積極的な主張(「肯定的な結果」という)を地道に検証する追試的な研究はインパクトが弱く注目されにくい(引用されにくい)。そこで不当にマイナーな扱いになってしまう。とくに否定的な結果を示す研究は、無視されやすいとのこと。

追試的な研究は、科学の信頼性を支えるきわめて重要なものです。それなのに、おろそかにされる傾向があるわけです。

「引用されることをとくに重視する傾向」は、本書では「インパクト」重視のバイアスなどとも述べています。これは、本書が述べる科学のあり方についてのキーワードです。

インパクト重視の傾向によって、「記述的」といわれる、研究対象についての基礎的な細かい事実・現象を調べる研究(その分野の基礎となり、新しい研究領域を切りひらくうえでも重要)も軽視されがちになっているとのこと。

そして論文の引用にしても、自分の主張にとって都合がいいように、その研究の意味を歪めてしまうことも珍しくはないそうです。これは「否定的な結果」を示す研究を無視する傾向とつながっています。

さらに、インパクトの強い「よくできた物語」を構築するために厳密性やバランスを犠牲にすることも増えている、とも。

そして、学術誌の「査読」(論文の掲載について他の専門家が審査するしくみ)の限界や、それが理想的には機能していない現状も、本書は指摘しています。

査読というしくみは、科学研究の信頼性を確保するうえできわめて重要なものです。しかし、科学研究の厳密性などをチェックする、その機能は十分に働いていないというのです。

たとえば『ネイチャー』のような、一般人が「最高の権威」と思っている学術誌の査読に不十分な面がおおいにあること、そこにはインパクト重視の現代科学の体質、雑誌としての商業主義などが作用していることが述べられています。

***

本書の終盤で、著者はまとめ的にこう述べています。

《科学者は〈自らの考えを広めるためのバイアス〉がかかった党派主義者だ。彼らはそのためにエビデンスを選り好みし、エビデンスやデータを柔軟に解釈し、出典を選択的に引用することによって論証を組み立てている。科学者は理不尽な測定基準〔そういち注:引用された件数など〕に翻弄され、商業的な学術誌は科学を内側からむしばんで厳密性を低下させた。……ある意味、最近発表された研究結果のなかには、確かに虚偽といえるものも多いかもしれない》(538ページ)

以上のようなことを知ると、本書のカバーの裏表紙にあるように《「科学的に実証されたものは正しい」という認識が根底から覆〔る〕》かもしれません。

私も本書を読んで、科学への信頼が揺らぐところがありました。たとえば「『ネイチャー』や『ランセット』に載った説だからといって、かならずしも信頼できるわけではない」ということを知ったわけです。

しかし科学への信頼が「根底から覆る」までには至りませんでした。

***

本書では、科学への信頼が揺らぐような実態を多く述べている一方で、「それでも信頼できる面が強くある」と思えることもかなり述べています。

科学者が「バイアスのかかった党派主義者」であるのは、真理を明らかにしようとする情熱のせいであると、著者は言います。そして、ほかの科学者との競争や真剣勝負を重ねながら熱心に研究をすすめる様子についても、随所で述べているのです。

著者はこう述べています。

《この賢くて才能あふれる人たち〔科学者〕を突き動かしているのは、製薬会社のアメでもなく、資金提供者のムチでもなく、「理解したい」という彼ら自身の情熱だ。もちろん、科学者にも偏見はある。しかし、その偏見も主に情熱から生まれたものだ。自分のアイデアを個人的に投資している〔人生をかけて取り組んでいる〕からこそ、偏見は生まれる》(539~540ページ)

そして《科学の成功は、私たち〔科学者〕の情熱と深く結びついている》と。(540ページ)

つまり、熱意を持った(とくに新世代の)科学者が、自分のアイデアを守り抜いて成功したことで、科学は前進してきたということです。

たとえ同時代の一流の科学者たちから懐疑的にみられても、《ほかの人たちを説得して価値を認めさせる技を身につけなければならない。自分のしている研究がどういったもので、どうやったらうまくいくか、説得力のある新しい一つの物語を構築できて初めて、成功の可能性が生まれる》(541ページ)のです。

「それが科学だ」ということなのでしょう。

本書の別の箇所では《科学者が長期的に信用され、キャリアを向上させていくには、〈信頼性の高いエビデンス〉を提示し、重要視される視野の広い主張、攻撃的な批判に耐えられるくらい強い主張〉をする必要がある》(116ページ)とも述べています。

***

そして、新世代の科学者が通説をくつがえす説を「信頼性の高いエビデンス・反証」に基づき強く打ち出して、大物の科学者との論争に勝利した事例(ハリスとザッカーマンの論争、第5章)などを取り上げています。そういうことが科学の世界では可能なのです。

こうした「科学への信頼」にかかわる事例が、本書ではいくつか述べられています。

また「学術誌の査読が機能していない」ということについても、すべてがそうではないとのこと。「限定された分野を扱う専門性の高い学術誌では、査読は機能している」というのです(これに対し『ネイチャー』のように幅広い分野を扱う学術誌の信頼性は劣るということ)。

***

私が本書を通して受け取ったメッセージは、「科学は複雑」ということです。

これは最終章のなかの一節の見出し――《科学は複雑で、絶えず変動している》からとった言葉です。

盲目的に「信頼する」のでもなく、「信頼できない」と切り捨てるのでもない。科学の建設的で健全な営みの「基本」はあるけれど、それに対し影響をあたえるさまざまな作用があり、その作用のからみあいで科学研究の世界という「生態系」が構成されている――そんなイメージを、私はこの本から受け取りました。

この「生態系」という言葉は、本書の最終章で科学研究の管理者の役割について述べた箇所からとったものです。

そこでは、研究の管理者の仕事について《ランの花〔秋田注:個々の研究〕を育てることではなく生態系を維持することである》と述べているのです。(555ページ)

この「生態系」というイメージは、研究所などの個別の場だけでなく「科学研究の世界全体」にもあてはまると思います。

***

本書は、「現代において、従来の科学研究の生態系が(悪いかたちで)変化している」ことを述べた本ともいえるでしょう。

しかし一方で「その生態系には健全さを維持しようとする作用も強く存在している」ということも述べていると、私には思えます。ここは意見が分かれるかもしれませんが。

しかしとにかく、この本には「科学の現状」を一般の人が自分なりに理解し、考えるための基礎知識や視点、材料が豊富に書かれています。科学に対する考えがどうあれ、読む価値があると思います。

そして、この本に書かれているようなことを認識する人が増えるのは、科学に対する社会的なリテラシーが向上することで、大事なことです。

ただ、新書サイズで読みやすく書かれているとはいえ、ハードなテーマで500数十ページもある本です。だから読む人はやはりかぎられるかもしれません。

そこで、「日本人の専門家による、この本のテーマをさらにかみくだいて簡潔に書いた本があったらいい」とも思いました。

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