そういちコラム

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柔軟さと寛容を失った西ローマ帝国の崩壊

ローマ帝国の西半分(西ローマ帝国)は、400年代後半に体制崩壊しました。内乱やゲルマン人の侵入がその原因です。

ゲルマン人とは、ローマ帝国周辺の辺境に住む人びとの総称で、いくつもの部族を含みます。476年にゲルマン人傭兵隊長による反乱で、西ローマ帝国という国家は最終的に滅亡したとされます。

ただ、それ以前にもゲルマン人はローマ帝国に入り込んでいました。300年代までには多くのゲルマン人が農民として移住し、ローマ軍のかなりの部分もゲルマン人で占められていたのです。ローマ的な教養を身につけ、政府高官や軍の司令官になるゲルマン人もいました。

一方「反ゲルマン」の風潮も根強くありました。「所詮は野蛮人」「危険な存在だ」というわけです。

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そして400年代初頭に、当時の西ローマで有力だったスティリコというゲルマン人高官が謀反の疑いで処刑されると、空気が変わりました。

帝国内のスティリコと同じ部族の人びとは、虐殺されてしまいました。一方、その部族の3万人もの兵士が、ローマと緊張関係にあったゲルマンの一派・ゴート族に合流。そして、410年にはゴートの軍勢はローマ市に攻め入ってきたのです。

400年頃からの10年余りのあいだ、ゴート族はイタリア半島を荒らしまわったあと、西ローマ帝国の辺境であるイベリア半島(スペイン)へ移り、そこに自分たちの国をつくって落ち着きました。

このとき、ゲルマンの優れた人材を登用しなくなって西ローマ帝国の政治や軍事は弱体化しており、ゴート族の脅威に適切に対応できませんでした。ゴート族の攻撃以降、西ローマ帝国の衰退は決定的になりました。

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ローマ帝国を荒らしまわったゴート族の集団は、376年以降にフン族という有力な騎馬遊牧民の攻撃から逃れてローマ帝国にやってきた人びとです。

彼らはローマ領内に入るにあたって、部族のリーダーがローマ皇帝に移住許可を求める手紙を書き送り、許可を得ています。帝国の辺境に自分たちの住む土地を与えてほしい。見返りに兵士を提供するから、と。

つまり、ゴート族の集団は「難民」のようなかたちでローマ帝国に入ってきたわけです。ただし現代の難民とちがって、彼らは相当な兵力になり得る集団でもありました。

そして、378年にこのゴート族の集団は、ローマ帝国の対応への不満から反乱を起こしました。ゴート側は当面必要な食糧などの物資の供給をローマ帝国に求めましたが、ローマ側はこれに十分に応じず、ゴート側に食糧を高値で買い取ることなどを要求したのです。

そのような対応が積み重なって怒りが爆発したというわけです。このときゴート族への対応にあたったローマの当局は、ゴート族を明らかに見下していたはずです。

この反乱を鎮圧するためにローマ軍が出動したのですが、大敗してしまいました。なんと総司令官の当時のローマ皇帝も戦死してしまった。

これはたしかに大事件なのですが、このときの戦いは、まだ帝国の一地方における局所戦といえるものでした。

しかし、この反乱からゴート族とローマ帝国の深刻な緊張・対立関係が始まり、そして前に述べた400年代初頭のゲルマン人の高官スティリコの処刑以後、一挙に帝国の中心を巻き込む戦乱となっていったのです。

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また、410年にローマ市が占領されたときも、ローマ人はゴート族を見下した対応によって失敗しています。

このときローマ市を包囲していたゴートの軍勢と、西ローマ皇帝のあいだで和平交渉が行われました。当時西ローマ皇帝はローマではなく、ラヴェンナという新たな都にいたのですが、皇帝側はゴート族を侮辱するような書簡をゴート側に送っているのです。なんと愚かな。

ゴート族の王はこれに激怒して、ローマ市内に軍をすすめ、破壊や略奪を行ったのでした。スティリコのような人材がいれば、こんな事態は防げたはずです。

やはりローマ人は、ゲルマンへの対応を誤ったといえるでしょう。ローマ人はゲルマン人を人間としてきちんと認め、それなりの対応をすべきでした。

自分たちに明らかに敵対しないのであれば、それなりの処遇をする。もちろん「聖人」である必要はない。自分たちの立場や利益を優先し、自分たちの有利な点は利用する狡猾さがあってもいいはずです。

しかし、ローマ人はヒステリックで硬直した反応をしてしまった。そして、破局的な事態を招いてしまいました。寛容や柔軟さ、あるいは冷静な損得勘定を失えば、衰退や破局が待っているのです。

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以上の「西ローマ帝国の崩壊」のケースは、今の世界を考えるうえで参考になります。「西ローマ」は「欧米」などの先進国に、「ゲルマン」は、その周辺の発展途上国や新興国の人びとに置き換えることができるでしょう。

心配なのは、最近のアメリカの様子をみると、外部の他者に対する「寛容」「柔軟」あるいは「したたかな狡猾さ」が明らかに後退しているのでは、と思えることです。

それにかわって「頑な」「傲慢」「感情的な対応」といったネガティブな面が強まっているのではないか。また、内部の他者(意見や立場・条件の異なる人たち)に対する姿勢でも、同様のことがみられるはずです。

私たち日本人も含め、これは気をつけないといけない。現代の私たちは古代のローマ人よりは賢いはず――そう信じたいものです。

(参考文献:弓削達『ローマはなぜ滅んだか』講談社現代新書 南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書など)

 

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