【今日の名言】
ピーター・ドラッカー(経営学者、1909~2005)
あなたは何によって人に知られたいか。その問いへの答えは、歳とともに変わっていかないといけない。
(『プロフェッショナルの条件』ダイヤモンド社より)
この問いを自分に投げかけてみましょう。新年や年度の初めは、とくにいい機会です。去年とちがう答えになるかもしれません。
「何によって知られたいか」というのは、結局「何をめざすか」「何で貢献するか」「何に価値をおくか」ということですが、ドラッカーの言い方はそれよりもイメージが浮かびやすい、頭が動く問いかけだと思います。
また「人に知られる」というのは、必ずしも「広く有名になる」ことではなく、ある限られた範囲で認められることも含むでしょう。
とくに中高年の場合、定年などのキャリアの節目にあたって、この問いに向き合っている人は多いです。
先日、定年を迎えた教師の友人と対話したのですが、その人が若いころから支えにしてきた教育についての価値観や理論について「これでよかったのか?」と、仕事の資料や荷物を整理しながら自問自答しているとのことでした。
どういう結論を出すにせよ、あるいは結論を保留するにせよ、こういう「自問自答」は意味のあることだと思います。
良くないのは、「自問自答」を抜きにして、自分が大事にしてきたことに対し「それしか考えられない」という感じでいつの間にか凝り固まることでしょう。
定年にあたって会社(とくに有名で恵まれた会社)での職を失うことに、おおいにうろたえている中高年がいます。これは、「〇〇社の社員として世間に認知されたい」という、凝り固まった考えを更新できないで戸惑っているわけです。
なお、ドラッカーによれば「本当に知られるに値するのは人を素晴らしい人に変えること」だそうです。
これはたしかに、とくに中高年には魅力的な選択肢ですね。「これからは人づくりに貢献したい」という、自負心のある定年後の中高年(おもに男性)も、ときどきみかけます。
でも、そのような素晴らしい・恰好いいことは誰もが思うように実現できるわけではない。しかし、限られた範囲でなら、なんらかの実現は可能かもしれません。
まあ、やりたいように、やれることをやってみるしかない(自分に言い聞かせています)。
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さて、ここで述べたことに関連する、もうひとつ好きな言葉があります。佐野元春さんのヒット曲(「約束の橋」)の一節。
“今までの君はまちがいじゃない”
“これからの君はまちがいじゃない”
根拠はどうでもいい。私は念仏のようにこの歌詞を(曲とともに)心のなかで唱えることが、たまにあります。