そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

「国際社会」は存在するのか?

常々思うのですが「国際社会」という言葉には、どうも違和感があります。その言葉を使う人が一般に志向する、平和や人権を大切にする価値観じたいは、私も共感します。

それでも「“国際社会”といえるものが、この世界に実際に存在するのか?」と疑わしく思うのです。

そもそも「社会」という言葉には、「生活を営む人間の集団が、一定のルールのもとにまとまった状態」というニュアンスがあるはずです。その状態が、地球上の世界各国のあいだに成立しているのか?

国家とは、大きな人間の集団が法律などの国家権力が定めるルールのもとに束ねられた状態です。そしてそれは社会のあり方として典型的なものでしょう。

ただし国家が支配する状態だけが「社会」ではありません。内戦で無政府状態となった途上国や、SFやマンガに出てくる文明が滅びた世界のような、暴力的で無法な状態も社会のひとつのあり方です。

でもそれは「崩壊した社会」だというのが、一般的なとらえ方だと思います。

そして、「国際社会」の実態は、じつはそのような「崩壊した社会」と通じるところがあるのではないでしょうか? 

なぜなら、そこには構成メンバー(各国)に対し、共通のルールを強制し得る上位の権力が存在しないからです。

それでも、誰もが善良にふるまっているなら、問題はありません。しかし、とんでもない悪事をする者(国家)があらわれたとき、それを取り締まる警察にあたるものは、地球上には存在しない。ほかのメンバーによる、説得や圧力ということが可能なだけです。悪事をする国が、強大であるほどそうなります。

これに対し、たとえばわが国のような安定した文明国の警察・軍隊は、強大な暴力団やテロ組織であっても全く太刀打ちできない力を(組織全体としては)持っています。

しかし「国際社会」でそこまで強大な治安組織をつくり出すことは、現実には考えられません。すごい文明を持つ宇宙人がやってきて、地球を支配しないかぎり無理です。

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20世紀後半、とくに冷戦終結後のしばらくの間は、圧倒的な超大国のアメリカに、ある程度「世界の警察官」の役割を期待できたかもしれません。

ただし「警察官」というのは過大評価で、実際は「顔のきく大親分」くらいのものでしょう。そしてその親分は、今はパワーや意欲が落ちている。

とはいえ現代の国際社会は、暴力が支配する無法地帯とまではいえないはずです。それよりは秩序や安定がある。個々の国が無法地帯化することはあります。しかし世界全体としては「群雄割拠の戦国時代」に近いのではないか。

戦国時代といっても、つねに激しい戦争をしているわけではありません。この数十年は協調したり対立したりしながら、大きな勢力のあいだではどうにかバランスを保ってきました。

しかし、その均衡を壊す暴挙があったとき、それをおさえ込む強大な権力は、「国際社会」には存在しない。

それなのに、「このような暴挙は国際社会では許されない」みたいな言い方がよくなされます。でもそれは、法律や警察が機能する個々の文明国のあり方を、無反省に世界全体に拡張しているような気がするのです。

たしかに暴挙は許せないけど、その首謀者を逮捕しようとしたら、世界全体に破滅的な事態が起きかねない場合もある。文明国で警察が凶悪犯を逮捕するときにはそんな心配はないのに、国際社会はちがうのです。

「国際社会の実態は戦国時代的である」という現実を、国際社会という言葉はあいまいにしていると、私は思います。そして、現実から目をそむけては、事態への対処がピント外れになってしまう恐れもあるでしょう。

「国際社会」なんて言わずに、単に「世界各国」「欧米諸国」「先進諸国」などと言うほうが、たいていは正確なはずです。

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