そういちコラム

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北京オリンピックの開会式

北京オリンピック(冬季大会)の開会式をみました。好き嫌いはともかく、シンプルで「何をしたいのか」が明確な演出だと思いました。演出を手がけたクリエイターが、力量を発揮できたのでしょう。

私は中国の独裁体制に反感を持っていますが、この開会式は「なかなかやるな」と思いました。

ただし「共に未来へ」という、このオリンピックのスローガンで、開会式にも表現されていたメッセージに対しては、外国の私たちは冷めた感じがするでしょう。「あの国がそれをいうか」と思う人は多いはず。しかし、少なくとも中国人民の一定の層にはおおいに訴える力が、あのイベントにはあったのではないか。

今の中国は勢いのある大国で、相当な文化力もついてきた。そして独裁国家なので、権力者の承認の枠内とはいえ、選任されたエリートのクリエイターは自分の構想をきちんと実現できる。

こうした中国の状況が、この開会式ではプラスにあらわれたと感じます。

これに対し、去年(2021年)の東京オリンピックの開会式について、私は「明確な構想がなく、ごちゃごちゃしている」と思ったものです。

しがらみや忖度や打算によって「どんなものをつくりたいか」がわからなくなった感じ。日本にはさまざまな文化の蓄積があるのに、それをうまく生かせていない。みんなが自由にものが言える社会のあり方も、そこではマイナスに働いた可能性がある。

結局、それは社会の衰えということかもしれません。

このようにオリンピックには、主催する国の社会や文化の状況がよくあらわれていると思います。とくに開会式は象徴的です。

そこで、「アスリートファースト」とはいうけど、やはり国威発揚の場になってしまう。その意味でオリンピックはきわめて政治性が強い、特殊なスポーツイベントです。巨大な政治的装置といってもいい。

「それはいやだ」と思う人も多いですが、だからこそひきつけられるという面もあるのでしょう。

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