漢字の書体で、私たちがまず習うのは楷書(かいしょ)という、字画を略したり続けたりせずきちんと書く書体です。
そして、やや崩れた書体である行書(ぎょうしょ)や、さらに崩れた流れるような書体の草書(そうしょ)もあります。
では「楷書」「行書」「草書」が生まれた順序は、どうだったのか?
最初に楷書があり、それを行書→草書と崩していった? いえ、実はちがいます。
2000年ほど昔、秦・漢の頃の古代中国では隷書(れいしょ)という古いタイプの「きちんとした書体」が公式でした。
そして、それを崩した早書きの書体として草書が生まれ、その後草書を公式化する方向で行書にして、唐の時代(600年代~)には、バージョンアップした新しい公式な書体として楷書が確立しました。
つまり隷書→草書→行書→楷書という順序なのです。このように「実際の経緯が、ぱっとみて連想するのとはちがう」というのは、ときどきあることです。
(石川九楊『漢字とアジア』などによる)
向かって左から、隷書・草書・行書・楷書
詳しくはこちらの記事で。
参考にした書家・石川九楊さんの本。