ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)は、聖書の教えに反する「地動説」を主張したとして、ローマ教皇庁の宗教裁判にかけられました。これは、多くの方がご存じと思います。
このときとくに問題とされたのは、宗教裁判の前年(1632年)に出版され、真正面から地動説について論じたガリレオの著作『天文対話』でした。
ただし、この本にはそれなりのエクスキューズもありました。
3人の人物の対話によって地動説の正しさが伝わるように書いてあって、1人称で書かれていない。それによっていろんな言い逃れも可能になる。また、裁判の10年ほど前に就任した、当時の教皇は以前からガリレオに好意的だった。
「地動説の本を出すなら今だ」ということで、彼は『天文対話』を出版しました。しかし、結局は裁判にかけられて、有罪判決を受けた。1633年6月21日のこと。
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では、ガリレオはこの裁判で、教皇庁の圧力には一切屈しなかったのでしょうか?
ガリレオの一世代前の学者で、地動説などの新しい宇宙観をとなえたジョルダノ・ブルーノは、宗教裁判にかけられても自説を曲げなかったため、1600年に火あぶりで処刑されました。
ガリレオは、ブルーノのような道を選びませんでした。彼は結局「私はまちがっていました」と裁判で宣言させられています。
その際に、一般に伝わる逸話のように彼が「それでも地球は回っている」といったかどうかは、じつははっきりしていません。
でも、少なくともガリレオはわかっていたはずです。「私や教皇庁がなんといおうと、地球は回っている。こんな宣言に意味はない」と。
彼は、判決により地動説の公表を禁じられ、自宅軟禁となりました。しかし、最後までしぶとく研究を続け、その成果を秘密で出版したりしたのでした。
科学的な真理は、裁判や会議のような権威が宣言することでは、決まらない――これは重要なことです。
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もちろん、その後の科学の発展で地動説は勝利します。結局ローマ教皇庁もガリレオ裁判の誤りを認めました。
では、それはいつのことだったと思いますか?
選択肢を立ててみましょう。「1700年代」「1800年代」「1900年代前半」「1900年代後半」のうちのどれでしょうか?
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教皇庁が「ガリレオ裁判に誤りがあった」と認めたのは1992年のことです。そんなに後の(つい最近の)ことなのです。
なんとバカらしい。
このような、権力による真理の弾圧の愚行は、もうくり返さないでほしいものです。
しかし今も、そしてこれからも大小さまざまなかたちで「弾圧の愚行」はあるのだと思います。その愚行とたたかう人は、今もあちこちにいるはずです。
現代の先進国では、真理をめぐる弾圧で殺されることはまずないでしょう。でも職や生活手段を奪われる危険を伴う場合はあるはずです。そして先進国でない場合、命が本当に危ない場合がある。
そのような「命にかかわる弾圧」を受ける人は、私は「殉教者にならずに、ガリレオの道を選んでほしい」と思います。
ある活動家が弾圧に屈して「自分はまちがっていた」と宣言したところで、「何が真理か・正しいか」が変わるわけではない――その視点も忘れてはいけないはずです。
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ただ、今の安全な先進国では、命はもちろん、職を失う恐れも皆無なのに、やたらと「弾圧」の影におびえて、無難なことしか言わない傾向が強くなっているのでしょう。
そういうことからも、「宇宙の構造はどうなっているか」などという「現実的な利害とは関係のない真理を、命がけで主張した人間がいたこと」を再確認するのは、意味があると思います。ほんとうにいたんですね、そういう人間が。
ガリレオ裁判の判決が下った6月21日は「真理の日」として記念すべきだと思います。

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参考文献
私の科学史関係の話の多くは、科学史家の板倉聖宣さんの本で自分なりに学んだことをもとにしています。
ガリレオ裁判の捉え方(宣言に意味はない、殉教者にならなかった)は、この本からも学びました。
ガリレオの本


