そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

多作な人は、多作だからこそ書くことが尽きない

文章の世界でたくさんの仕事をしている人を見ていると、「多作なのに書くことが尽きない」のではなく、「多作だからこそ、書くことが尽きないのだ」と思えます。

どの分野にも、寡作な人と多作な人がいます。学問の世界でも、めったに論文を書かないまま定年を迎える大学教授がいる一方で、百も二百も論文や著作を発表している学者がいます。

そして、かなりの場合、寡作な人よりも多作な人のほうが、ひとつひとつのアウトプットの質が高いのです。「量」の多い人は、「質」のほうも伴っているということです。

「やはりすごい人はちがうなあ」と言ってしまえば、それまでかもしれません。

でも、「その人がすごいから」というだけでなく、そこには「多作が多作を生む」というそれなりの構造があるように思えます。

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書くことによって、人は多くの情報にめぐり合うことができます。書くために調べものをするときには、いろんな問いかけを持って資料にあたります。

問いかけを持つことで、目的のはっきりしない読書よりも、はるかに多くのことが頭に残るのです。たくさん書く人は、たくさんの知識やノウハウを蓄えることになります。

また、書くことによって、人はいろんなことを考えます。

今書いているテーマに沿ったことだけではありません。その周辺にある、いろんなことに気がつきます。「今度は、このことをやってみたい」と思えるようなテーマを、いくつも発見するのです。

そこで、たくさん書く人ほど、たくさんの書きたいテーマを抱え込むことになります。

そして、たくさん書く人は、たくさんのテーマを次々と消化するだけの知識やノウハウを持っている。だから、たくさんのテーマを次々と消化していってしまいます。

その過程で、さらにまたたくさんの知識やノウハウを蓄え、さらにまたたくさんの書きたいテーマを発見していく……

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残念ながら、私はそこまでの境地を経験したとはいえません。でも、文章を書くことを続けていると「たぶんそうなのだ」とわかる。

そして何より、多作な人の仕事ぶりをこの目で見たり本やインターネットで触れたりすると、そう思えるのです。

 

この記事は、私そういちのこの本(電子書籍)の一部を編集したものです。

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