そういちコラム

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「シン・ウルトラマン」をみた・社会の変化がゆっくりになっている

映画「シン・ウルトラマン」をみてきました。いろんな評価があるようですが、私は楽しい時間を過ごすことができました。50代後半の、初代ウルトラマンに夢中になった世代だからでしょう。

あの映画は、そういう世代のための「ウルトラマン祭り」です。「世界に向けて」とか「メッセージ」「人間ドラマ」などはあまり目指すことなく、演出や俳優の演技も含めた現代の技術で、製作者が子どもの頃に夢中になった世界を再構成したのです。

この映画と同じコンビ(樋口真嗣監督、企画・脚本など庵野秀明)による「シン・ゴジラ」は、「ゴジラというあり得ない存在が、もしも現実社会に現れたら」というSF的シミュレーションが大事な要素でした。

しかし「シン・ウルトラマン」は、怪獣や宇宙人が「あり得ない」存在なら、それを受けとめる人間社会(政府組織や怪獣退治の専門チームなど)も現実離れしたファンタジーになっています。

もちろん、大人がみる映画なので、テレビの子ども番組よりはリアリティがあります。

でも、それは子どもがテレビでウルトラマンをみて「これは本当ならこうじゃないか」と思うレベルのリアリティです。

たとえば「ウルトラマンみたいなのがあらわれたら、本当なら世界はもっと大騒ぎになるはずだ」みたいな。そのくらいのリアリティで、この映画はあえてまとめているように思います。

もともとウルトラマンの世界は基本設定として、「シン・ゴジラ」のような、大人も共感できるリアリティは成立しないのだと、庵野さんたちは判断したのでしょう。

そこで、宇宙人の企みも、それに対する政府の対応も、ウルトラマンや「科特隊」の正義感も、子ども向けドラマのレベルに若干のもっともらしさを加えるくらいでかたちを整えた。

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だから、この作品で私は「実績のあるクリエイターによる今の技術のウルトラマンの映像」を、ただ気楽に楽しんだという感じです。地球にやってきたばかりのウルトラマンが最初に地上に立ったシーンは、「おおー」と胸がおどりました。そのウルトラマンを「まだ敵か味方かわからない、かなり恐ろしい感じ」でみせているのもさすがです。

「映画としてそれだけでいいのか」といわれると、たしかにそうかもしれません。おそらくこの映画は「シン・ゴジラ」のような評価は得ないのでしょう。でも私は「この映画はこれでいい」と思いました。

もしもこの作品を「シン・ゴジラ」みたいな方向性でつくっていたら、収拾がつかなかったはずです。

ウルトラマンの世界は「ゴジラという未知の脅威が東京にあらわれた」という「一点突破」的なものではなく、もっといろんな要素があります。「ゴジラ的な未知の脅威の出現」とともに、「地球外生命とのファーストコンタクト」や「宇宙人との戦争」等々の別の大きな要素が含まれている。

これらをいちいち「シン・ゴジラ」的なリアリティで扱っていたら、もう「ウルトラマン」ではなくなってしまうでしょう。もっと別のSFになってしまう。

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それにしても、50数年前の人気コンテンツの基本設計が、いまだに通用するのです。

「世の中の変化はどんどん早くなっている」とよくいわれますが、「じつはゆっくりになっているのでは?」と思います。

ウルトラマンも仮面ライダーもガンダムも、同じ基本設計の作品を今も子どもや若者がみている。どれも最初のシリーズは、私のようなジジイが子どものときにつくられた作品です。親子で同じ作品を楽しむこともある。

このようなことは、私が子どもの頃(高度成長期の、世の中の変化が本当に速かった時代)には考えられませんでした。

私が子どもの頃(70年代)、私の親が子どもだった昭和戦前期や終戦後間もない頃のキャラ(たとえば「のらくろ」)に子どもが関心を持つことは、まずありませんでした。まったくないわけではないけど、例外的なことでした。当時「のらくろ」のテレビアニメもつくられましたが、子どもたちの話題の中心になることはなかった。

戦時中の「のらくろ」の時代と私の子ども時代とは、あまりにも世界がちがっていたのです。でも現代と40~50年前のあいだでは、多くのことが共通している。この数十年の社会の変化が比較的ゆっくりだったからです。

一連の「シン・〇〇」の作品は、まさに「変化がゆっくりになった時代」らしい作品です。「変化がゆっくりになる」と過去の作品の寿命が長くなります。

「古典的な過去の作品を、現代的に再構成する」ことは、これからの創作において、ますます重要になるでしょう。これは映像にかぎったことではありません。

「シン・〇〇」作品の立役者である庵野秀明さんは、今の時代のそうした状況を的確に理解しているはず。

そして実際に、古典を再構成して、多くの人の鑑賞に堪える作品をつくりあげた。「古典の再構成」という現代的な創作で、映像作品におけるひとつの典型を示したといえるのでは? 「シン・〇〇」的な創作(「リブート」などというそうですが)は、これからさらに増えるでしょう。

 

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