今日(2022年5月5日)の日経新聞に、子どもの日にちなんで「日本の子どもが減っている」という、恒例行事的な記事がのっていました。そこにつぎのデータがありました。
総務省の推計によれば、日本の15歳未満の子どもは2022年4月1日時点で1465万人。去年より25万人減で、1982年から41年連続で減っている。
そして、「総人口に子どもが占める割合」は(2020年の国連人口統計年鑑によれば)、日本は人口4000万人以上の国のなかでは最低の11.7%。
これに対しアメリカ18.6%、中国18.6%(アメリカと同じ)、イギリス17.9%、ドイツ13.8%…
たしかに、日本は諸外国と比べても子どもが少なくなっているようです。
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子ども関連のデータとして「教育機関に対する支出の対GDP比」というのも、かなり取り上げられます。教育に対する公的財政支出と私的な教育費の合計が、GDP(国の経済規模)に占める割合です。
これは、「その国・国民は子どもの教育にどれだけ熱心か」を示す指標として取り上げられるようです。
この「教育支出の対GDP比」について、日本はOECD諸国(先進国を中心とする世界の主要国)で最低レベルといわれます。
さきほどの日経新聞の記事に登場した国で比較すると、2017年のデータでは、日本4.0%に対し、アメリカ6.1%、イギリス6.3%、ドイツ4.2%(矢野恒太記念会『世界国勢図会』による)。
たしかに日本の数値は低いです。でもこれは、人口に占める子どもの割合の低さも影響しているのではないでしょうか。
この記事のなかの数字で(厳密ではないけど)ざっと比較しましょう。「全人口に子どもが占める割合」は、アメリカは日本の1.6倍ほどです(18.6÷11.7)。
そして「教育支出の対GDP比」だと、アメリカは日本の1.5倍ほど(6.1÷4.0)。どんぶりで、どっちも1.5~1.6倍。
同じ計算をドイツやイギリスでやってみても、これにほぼ近い結果です。おおまかにみて、日本が子どもへの教育費をとくにケチっているということではないのでは?
もちろん、だからといって「日本の教育はこれでいい」などと言うのではありません。
でも、「日本の教育支出(対GDP比)はOECD諸国の中でも最低レベル」ということから「教育を軽視している」というのは、統計の読み方が間違っているのでは?
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ところで、子どもに関する統計で,日本の数字が諸外国(ここではG7の国々、韓国、中国)と比較して明らかにまさっている事柄があります。
それは「乳児死亡率」です。これは「生きて生まれた赤ちゃん1000人のうち満1歳までに死亡する数」で、少ないほどいいわけです。2019年のデータをみると、こうなっています(『世界国勢図会』による)。
日本1.8 アメリカ5.6 カナダ4.2 イギリス3.7 フランス3.8 ドイツ3.2 韓国2.7 中国6.8
どうでしょう、日本の乳児死亡率はたしかに低いです。一方でアメリカが高いことに驚きます。その理由については、ここでは立ち入りません。ここでは、日本の乳児死亡率の低さに注目しましょう。
日本のこの数字は、親たちの頑張りのほかには、医療現場の高い水準や努力、公衆衛生のインフラなど、社会のさまざまな力の結晶です。
近年の日本は、経済に関し「ほかの先進国よりも停滞している」とよく言われます。「国の衰退」まで語られたりする。
でも「赤ちゃんの命を守る」ということは、非常に高いレベルでできているのです。これは誇っていいと思います。
だがしかし、もしも将来において乳児死亡率が高くなっていく(悪化していく)ことがあるとしたら、それは日本社会がいよいよ壊れてきたということではないか。
それはたとえば、乳児死亡率が高くなった場合、それとともに、街角で落ちているゴミが増えたり、治安が悪くなったりするということです。もちろん経済の衰退もすすむにちがいありません。
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旧ソ連(とくにロシア)では、1970年前後の時期に乳児死亡率の上昇がみられたそうです。
その統計をみたエマニュエル・トッドというフランスの歴史人口学者は「ソ連の社会が崩壊しつつあるのでは」と直感し、そこから研究をすすめてソ連崩壊を予見する内容の本(『最後の転落』1976年)を書いたといいます(トッド『エマニュエル・トッドの思考地図』筑摩書房)。
日本の乳児死亡率の動向は、今後の日本の社会状況をはかる重要な指標のひとつだと思います。
その数字の背後には、日本社会のすぐれた部分、それを維持する人びとの努力があるのです。ぜひとも気にかけていきたいです。
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