そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

コロナ禍の時代の卒業生へ

卒業シーズンには、巣立っていく若者へのメッセージをよく見聞きします。先日私はラジオで聴いたつぎのメッセージに強い印象を受けました。コロナ禍でいろいろな「やりたいこと」ができなかったにちがいない、卒業生たちへの言葉。

それでもみなさんは、自由があたりまえと思って育ったボクたちの世代よりも、はるかに強いと思うのです。

これはDJの野村訓市さんが述べていました(J-WAVEの「TUDOR TRAVELLING WITHOUT MOVING」2022年3月20日)。

野村さんは今40代後半。学生時代から世界を旅して、海外のさまざまな人たち(有名なアーティスト・クリエイターも多い)と交流のある人。今の時代の「自由」を深く追求し、自分の世界を築いた人です。

その自覚をふまえ、「自分が言うのもなんですが」と断って野村さんは述べていました。そして、「自由になったらあれをやりたい」と思っていることを、時期が来たらぜひやってほしいと。

また野村さんは、今の不自由さは戦争の時代の不自由さとも通じるものだ、と言っていました。

戦争が終わったあと、不自由な時代に育った当時の若者たちは、新しい時代をきりひらいていった。そのような強さを今の若い人たちも持っているはずだということです。

戦争のときと今のコロナ禍では、不自由の度合いが桁ちがいではあります。でも、若者が貴重な青春でこれだけの社会的制約を受けたことは、大戦後の先進諸国ではなかったはずです。

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野村さんのラジオを聴いて、私は自分が敬愛する昭和のヒーローを思いうかべました。

手塚治虫(1928~1989、終戦時17歳)は、終戦後の焼け跡のなかで「これで思いきりマンガが描ける、マンガ家になれるぞ!」と胸をおどらせました。手塚は戦争中に、発表のあてのないマンガの原稿を3000枚も書きためていたのです。

花森安治(1911~1978、終戦時34歳)と大橋鎭子(1920~2013、終戦時25歳)は、終戦直後の東京で「平和と暮らしに役立つ雑誌をつくりたい」と、2人で出版社を立ち上げました。

花森は、戦争中は体制に奉仕する不本意なPRの仕事をしていました。大橋は、熱意はあっても資金も経験もないOLでした。その2人が今も続く『暮しの手帖』を創刊した。

戦争が終わったとき、ただほっとしたり呆然としたりするのではなく「これで思いきり○○できる!」と叫んだ若者は、このほかにもいろんな分野でいたわけです。その人たちが戦後の日本社会を築いていった。

私が尊敬する(じかにお会いしたこともある)学者の板倉聖宣さん(1930~2018、終戦時15歳)も、その1人でした。板倉さんは科学史や教育学の研究で大きな業績を残した人です。

板倉さんが「僕たちの世代は、戦後の時代のトップランナーだと思ってやってきた」と述べるのを聞いたことがあります。「自由な社会で自由に考えることの大切さ・すばらしさ」は、板倉さんの仕事のすべてに通じる価値観でした。

今のコロナ禍で卒業をむかえた若い人たちもまた、コロナ以後の新しい時代のトップランナーなのだと思います。

もしも板倉さんが、あるいは手塚さんや花森さんたちが今も生きていたら、きっと「自由」の価値にかかわる何かを、若い人に語ったのではないか。

そしてそれは「自由はあたりまえではない」ことを経験して育った人ならではの言葉であるはずです。

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