エリック・ホッファー(1902~1983)という思想家は、“近代化とは基本的に模倣”だと述べています。それは“後進国が先進国を模倣”する過程であると。
そしてこうも述べています。
“自分よりも優れた模範(モデル)を模倣しなければならないときに苦痛を感じさせ、反抗を起こさせる何かが心のなかに生じはしないだろうか”
“後進国にとって模倣とは屈服を意味する”
(『エリック・ホッファーの人間とは何か』河出書房新社、田中淳訳)
つまり、近代化とは「欧米先進国を模倣すること」であり、プライドを傷つけ反抗心を起こさせる面があるということ。だから、模倣=近代化は難しいのです。
これは個人レベルの感覚ではわかりやすいはず。「お前のしていることは人のマネだ」と言われるのは、ふつうは嫌です。マネではない、独自のやり方をしたくもなる。それが国家や社会のレベルでもあるのではないか。
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第2次世界大戦後に独立した中国やインドは、近代化の歩みの当初には、先進国を模倣することに強く抵抗していました。「独自の道を行こう」としていたのです。
たとえば1950年代末の中国で毛沢東が打ち出した「大躍進」という経済発展の政策があります。これは先進国からの技術導入を拒否して、自前の技術で近代化をすすめようとするものでした。
その結果は悲惨なものでした。鉄を増産しようと、小型で簡易な(つまり低い技術による)溶鉱炉を何十万も建設したものの、それでつくった鉄は不良品ばかり。
また、農村の労働力を工業や建設事業に多く動員したことや、そのほかの農業政策の失敗で食料生産が大きく落ち込みました。それで大飢饉となって、1959~1961年には1600万~2700万人が餓死したのです。(フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉』草思社)
そして、そもそも当時の中国の社会主義じたいが、資本主義・自由主義に基づく欧米の社会体制を根本的に拒否したものでした。
このような「独自路線」の発想は、かつてのインドでもみられました。インドでは民間の企業活動が一応は認められ、その意味で社会主義ではなかったのですが、国家による経済への介入・統制は積極的に行われました。
また「すべてをできる限り国産で」という方針でした。つまり、自国で生産できるものは、国産品のほうが高くて低品質でも輸入しない。海外企業の進出は、原則として認めない。
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以上の中国やインドの過去の政策は、まさに「模倣への抵抗」でした。
欧米の先進国に教わることなく、自分たちは自分たちのやり方でやっていく。それでいつか追い越してみせる、というわけです。
しかし、それは結局失敗でした。経済発展は思わしくない状態が続きました。一方で台湾、韓国、東南アジアの一部は、先進国を模倣することで1970年代からは急速に経済発展していったのです。
そこで1980年代の中国や1990年代のインドでは、先進国を積極的に模倣する路線に切り替えました。
つまり、先進国の技術やノウハウにおおいに学ぶようになった。その結果、経済発展が軌道にのって、今は経済大国になっています。とくに中国はそうです。
しかし、中国で典型的ですが、今現在も「経済や技術はともかく、政治体制や価値観の根本では欧米を模倣しない」というのが国家の基本方針です。インドでも現政権はヒンドゥー教を重視しています。価値観の近代化には懐疑的なのです。
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ロシアも、欧米先進国を模倣することに対し強固に抵抗してきた国です。
ロシアを中心とする旧ソ連の社会主義体制は、さきほど述べたように欧米の資本主義とは根本から異なる「独自路線」です。20世紀における「反欧米」の最大の運動だったといえます。そしてロシアはその総本山でした。
しかし社会主義は破綻して、ロシアにもマクドナルドの店舗(先日ロシアでの事業を休止)ができたりした。
そして欧米を模倣することによる産業・経済の発展が始まるかと思われましたが、それは不十分なままです。
それなりの技術があっても輸出力のある工業は発展せず、エネルギー資源で外貨を稼ぐ経済構造ができあがった。ある程度の民主主義のもとで大統領が選ばれましたが、独裁者になってしまった。
そして今、その独裁者は欧米先進国を敵にまわす戦争を始め「欧米には絶対に屈服しない!」と叫んでいる。
模倣のプレッシャーや屈辱感、そこから生じる強烈な反抗心が、ロシアの指導者の心のなかには渦巻いているように思えます。
「近代化は模倣である」「模倣はプライドを傷つけ、反抗心を起こさせる面がある」ということは、今現在も世界史のなかで強く作用しています。そして、多くの苦しみを生んでいるのです。