近年普及してきた仮想通貨(暗号資産)というもの。ネット上の技術や契約・ルールに基づく、デジタルなお金です。これに対し、紙幣やコインという「本来のお金」があります。
でもお金の歴史をみると、これらの本来のお金も、最初はみな仮想通貨的なものでした。
紀元前500年代に古代ギリシアや中国で登場したコインは、それまでの金銀などの粒や塊という「本来のお金」に対する「仮想通貨」でした。
金銀の粒や塊は、取引のたびに重さを確かめていました。その重さイコール価値だったのです。
しかし、コインでは重さをはかることはありません。「コインに含まれる金銀の量にかかわらず、このコインはいくら」ということがルールとして決まっているからです。そのあり方は契約やルールで成り立つ仮想通貨と似ています。
そして、近代に発達した紙幣も「紙切れをルール上お金として扱う」ものであり、もともとはコインという従来の「本来のお金」に対する「仮想通貨」だったのです。
このようにお金の歴史は、はじめは“仮想”だったものが本来的なもの、つまり“本物”になることのくりかえしでした。
デジタルの仮想通貨も、いずれ本物のお金になるでしょう。
これは、お金の「非物質化」がすすむということでもあります。
お金の歴史では「一定の重さの金属→重さをはからないコイン→紙切れ」というかたちで「非物質化」がすすんでいきました。つまり、モノとしての縛りが少なくなる方向で、お金は進化してきたのです。デジタルのデータによるお金は「非物質化」の到達点です。
そしてこの展開は、お金にかぎったことではないはずです。ネット上のさまざまな「仮想現実」も、やがては「本物」になるのではないか。
仮想通貨(暗号資産)などのデジタルのお金は「ネット上の非物質的な“仮想”が“本物”になる」ことの先駆けなのかもしれません。
つまり「社会の非物質化」ということです。その具体的なイメージは、私などにはわかりません。でも、歴史のおおまかな流れから、ばくぜんとそのように思います。
もちろん「非物質化」といっても、食べたり飲んだりしなくなることはありえません。ただ「少ないモノで高度の文明生活を営む」ということではないかと。