そういちコラム

数百文字~3000文字で森羅万象を語る。挿絵も描いてます。世界史ブログ「そういち総研」もお願いします。

「公助」を使うのも主体性・「間違った自助努力」に気をつける

自分で頑張るだけでなく、周囲や、あるいは社会による支援に頼ることをどう考えるか? 

「自助」「共助」「公助」という言葉もありますが、それらの関係や優先順位についてどう考えるか? これは、現代社会において人生に大きな影響をあたえる事項のひとつではないでしょうか。

そして、一部の中高年(とくに男性)が言うような「最近の若い者は、すぐ他人や何かのサービスに頼ろうとして、努力が足りない」といった考えは、今の社会を生きていくうえではデメリットが大きいと、私は考えます。

たしかに私も「自分ができることをまず頑張る」のは基本だと思います。そういう努力や工夫を重ねる姿勢は、すばらしいと思います。

しかし、「自助」ばかりを優先し重視する考えに凝り固まると、自分の可能性を狭め、ときに自分を危うくすると思うのです。

そんな「間違った自助努力」で行き詰ってしまう前に、周囲の人や公的なサービスから支援を引き出していく――それは人生において重要なことではないか。

***

そして「周囲や社会から支援を引き出す」のは、じつはそれなりにエネルギーやスキルの要ることです。

ほんとうに「弱い」「無力」な状況にある人にとって、「支援」を得るのはむずかしい。

たとえば支援機関、つまり公的サービスの窓口に行くことは、かなりの人にとってハードルがあります。利用のための情報にアクセスする手間やむずかしさ、心理的抵抗があったりする。

さらに窓口の担当者から望むものを得るのには、一定のコミュニケーションや姿勢が求められるものです。

窓口の担当者が親切で力量のある人なら、そのコミュニケーションのハードルは低くはなります。しかし、ハードルが全くないということはありえません。

***

「窓口に行って支援を得る」ことについてのこうした見方(その重要性とハードルの存在)は、私は昔から思っていたことですが、近年は一層強固になりました。

私は9年ほど、大学生などの若者の就職支援の相談窓口でカウンセラーとして仕事をしたことがあります(2年前にその仕事は退職し、近くまたパートタイムで再開する予定)。

その仕事のなかで、就活について「窓口」で支援を求めることに対し、不安やためらい、「恥ずかしい」という気持ちを持つ人、あるいは遠慮のある人が一定数いることを経験しました。

こちらとしては「遠慮したり恥じたりする必要はないので、どんどん我々を使って欲しい」という姿勢でコミュニケーションをとるわけですが……

その一方、適切なコミュニケーションで、カウンセラーから積極的に上手く支援を引き出す人もいる。

それぞれの方の背景・事情は私には知る由もありません。しかし「こうした違いは、その人の育った環境や受けた教育が影響しているのだろう」という推測はつきます。

そして中には、窓口でカウンセラーに接するとき、不信感や苛立ちが強く出てしまって、コミュニケーションがとりにくくなっている人もいます。

もちろんカウンセラーは、それでもきちんと対話できるように努力するのですが、やはり困難が伴います。

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さらに世の中には「そもそも窓口に行くことができない」「窓口に行くなんて思いもよらない」という人も大勢いるわけです。

もちろん「窓口に来ない」人のなかには「そんな支援などなくても、自助や周囲の助けで十分に(就活を)すすめることができる」という人もいます。

私も、そういう人にお会いすることがありました。「自助」で活動してきた人が「複数の内定を得たけど…(どちらを選ぶか、断る会社へどう伝えるか)」といった就活の最終局面で窓口へ来ることがあるからです。

そういうとき「たしかにこういう(コミュニケーション力などのある)人は自助でやれるのだろうな」と感じることが多々あります。あるいは「周囲(友人・家族・身近な大人)からの共助をしっかりと得ることのできる環境にあるのでは」と感じることもあります。

しかし、現代において就活をすべて「自助」「共助」で適切に進めることのできる人は少数派だと、私は思っています。

たいていの人は、自分なりのやり方で「公助」(大学のキャリセンや公的な相談機関)を利用したほうが、より良いかたちで就活をすすめることができるはずです。

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以上のように私は思います。しかし、私と同年代の中高年(とくにおじさん)のなかには「オレが若いころは、カウンセラーに相談なんかしなくても自分で就活をしたものだ、今の若いヤツらはすぐに人や窓口に頼ろうとする」などと、就活における「公助」を否定する人も散見されます。

私自身、私の仕事についてそういう意見をされたことがあります。また、私が接した学生さんのなかにも「自分の親は自分がこういう場所で相談していることを良く思っていない」と言う人が(多くはありませんが)いました。

***

私は、いろいろな公的サービス(NPOなど民間によるものも含む)がかなり発達した現代の社会では、「公助をうまく利用するのも主体性(自助)のうち」だと思っています。

たしかに「公助」の多くには使い勝手の悪さや力不足などの限界はあります。しかし、かなり(あるいはいくらかは)役に立つ場合もある。それを前提に「使えるものは使っていこう」ということです。

「必要に応じて可能ならば、公助も積極的に利用しながら、自分自身がしっかり頑張っていく」のが現代の「自助」だと、私は思います。

そして「カウンセラーに相談するなんて良くない、オレの若い頃は…」みたいなことを声高に言う人は、「公助を主体的に利用する」という現代の「自助」のあり方を否定しているように思うのです。

そんな「否定」は、若い人たちにマイナスの影響をあたえるでしょう。

***

「主体的に誰かに助けてもらうスキル・姿勢」について、現代の大人は子どもや若い人に教える必要があります。

これは、たとえばヤングケアラーのような深刻な状況におかれた子どもの救済にもかかわってくることでしょう。

あるいは家庭の事情で進路の問題について苦悩する子どもへの支援や、その他さまざまな困難につきあたった子どもや若者がさらに深刻な事態に陥ることを防ぐにあたっても重要な事柄のはずです。

最近のニュースで「200~300万円の借金を抱えた若者が、借金を清算しようとネットでみつけた“闇バイト(=犯罪行為)”に応募して強盗を働いた」というケースが報じられていました。

そこにも「間違った自助」のイメージが作用しているように、私は思います(もちろんそれだけではないにしても)。

その若者は「債務について相談できる公助(国民生活センターや自治体)の窓口に行ってみよう」とは考えず、「“闇バイト”で荒稼ぎして自分で何とかしよう」と考えた。なんという間違った自助努力。

たしかにこれは極端でひどい例です。しかし「借金で困ったら、どこへどう相談すべきか」といったことは、子どもたちや若い人に積極的には知らされていない(情報が十分に届いていない)ように思います。

そして、それは「借金」の問題だけではないはずです。

素人が「科学とは何か」を考えるための本・『サイエンス・ファクト』

ガレス・レン&ロードリ・レン『サイエンス・ファクト 科学的根拠が信頼できない訳』(塚本浩司監訳・多田桃子訳、ニュートン新書、2023年)という本を読みました。イギリスの生理学者である父と、科学社会学的な分野の研究者である息子による共著。

科学とは何か、科学はどのようにして成り立っているのか、科学者は何をしているのか、科学哲学者や科学社会学者は何を論じているのか(たとえばポパーやクーンといった有名な学者はどんなことを言っているのか)……

そうしたことについて、素人の一般読書家(私のような)が幅広く知るうえで良い本だと思いました。

通俗的・断片的な知識でなくて、専門家による系統だった、より深い説明に触れることができる本です。

「おそらくそういう本だろう」と思って読み始めましたが、期待通りでした。明晰でわかりやすい翻訳によって、まさにそういう本になったとも思います。

***

私たちは科学者について、ごく素朴には「公正に真理を探究する人びと」というイメージを持っているはず。

そこで私たちの多くは「科学」の名のもとに述べていることを、ばくぜんと信頼するわけです。

しかしその一方で、「科学は信用できない」とする人たちも近頃は目立ちます。その人たちは「科学研究は商業主義や何らかの陰謀で歪められている」と言います。

そして、「科学的」と称する別の見解をひきあいに出して、主流派の科学者の説を否定する。最近の新型コロナやそのワクチンのことでは、まさにそういう構図になっていました。

この本を読むと、「科学者は聖人君子ではなく、科学者として名誉や地位を得たいという欲望や、科学界の力学に強く影響を受ける」ということがよくわかります。それが古典的な科学史の事例ではなく、現代的な事例を通して述べられているのです。

しかし一方で「問題はあるにせよ、やはり科学は基本的には信頼できる」ということも、この本からは伝わってきます。

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本書によれば、現代科学の問題のひとつとして「評価基準によって研究が歪められている」ということがあるそうです。

つまり「その論文がどれだけ引用されたか」が研究の評価の柱になっており、それが研究の問題意識やテーマ設定に大きな影響をあたえるというのです。

たとえば、ある研究の積極的な主張(「肯定的な結果」という)を地道に検証する追試的な研究はインパクトが弱く注目されにくい(引用されにくい)。そこで不当にマイナーな扱いになってしまう。とくに否定的な結果を示す研究は、無視されやすいとのこと。

追試的な研究は、科学の信頼性を支えるきわめて重要なものです。それなのに、おろそかにされる傾向があるわけです。

「引用されることをとくに重視する傾向」は、本書では「インパクト」重視のバイアスなどとも述べています。これは、本書が述べる科学のあり方についてのキーワードです。

インパクト重視の傾向によって、「記述的」といわれる、研究対象についての基礎的な細かい事実・現象を調べる研究(その分野の基礎となり、新しい研究領域を切りひらくうえでも重要)も軽視されがちになっているとのこと。

そして論文の引用にしても、自分の主張にとって都合がいいように、その研究の意味を歪めてしまうことも珍しくはないそうです。これは「否定的な結果」を示す研究を無視する傾向とつながっています。

さらに、インパクトの強い「よくできた物語」を構築するために厳密性やバランスを犠牲にすることも増えている、とも。

そして、学術誌の「査読」(論文の掲載について他の専門家が審査するしくみ)の限界や、それが理想的には機能していない現状も、本書は指摘しています。

査読というしくみは、科学研究の信頼性を確保するうえできわめて重要なものです。しかし、科学研究の厳密性などをチェックする、その機能は十分に働いていないというのです。

たとえば『ネイチャー』のような、一般人が「最高の権威」と思っている学術誌の査読に不十分な面がおおいにあること、そこにはインパクト重視の現代科学の体質、雑誌としての商業主義などが作用していることが述べられています。

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本書の終盤で、著者はまとめ的にこう述べています。

《科学者は〈自らの考えを広めるためのバイアス〉がかかった党派主義者だ。彼らはそのためにエビデンスを選り好みし、エビデンスやデータを柔軟に解釈し、出典を選択的に引用することによって論証を組み立てている。科学者は理不尽な測定基準〔そういち注:引用された件数など〕に翻弄され、商業的な学術誌は科学を内側からむしばんで厳密性を低下させた。……ある意味、最近発表された研究結果のなかには、確かに虚偽といえるものも多いかもしれない》(538ページ)

以上のようなことを知ると、本書のカバーの裏表紙にあるように《「科学的に実証されたものは正しい」という認識が根底から覆〔る〕》かもしれません。

私も本書を読んで、科学への信頼が揺らぐところがありました。たとえば「『ネイチャー』や『ランセット』に載った説だからといって、かならずしも信頼できるわけではない」ということを知ったわけです。

しかし科学への信頼が「根底から覆る」までには至りませんでした。

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本書では、科学への信頼が揺らぐような実態を多く述べている一方で、「それでも信頼できる面が強くある」と思えることもかなり述べています。

科学者が「バイアスのかかった党派主義者」であるのは、真理を明らかにしようとする情熱のせいであると、著者は言います。そして、ほかの科学者との競争や真剣勝負を重ねながら熱心に研究をすすめる様子についても、随所で述べているのです。

著者はこう述べています。

《この賢くて才能あふれる人たち〔科学者〕を突き動かしているのは、製薬会社のアメでもなく、資金提供者のムチでもなく、「理解したい」という彼ら自身の情熱だ。もちろん、科学者にも偏見はある。しかし、その偏見も主に情熱から生まれたものだ。自分のアイデアを個人的に投資している〔人生をかけて取り組んでいる〕からこそ、偏見は生まれる》(539~540ページ)

そして《科学の成功は、私たち〔科学者〕の情熱と深く結びついている》と。(540ページ)

つまり、熱意を持った(とくに新世代の)科学者が、自分のアイデアを守り抜いて成功したことで、科学は前進してきたということです。

たとえ同時代の一流の科学者たちから懐疑的にみられても、《ほかの人たちを説得して価値を認めさせる技を身につけなければならない。自分のしている研究がどういったもので、どうやったらうまくいくか、説得力のある新しい一つの物語を構築できて初めて、成功の可能性が生まれる》(541ページ)のです。

「それが科学だ」ということなのでしょう。

本書の別の箇所では《科学者が長期的に信用され、キャリアを向上させていくには、〈信頼性の高いエビデンス〉を提示し、重要視される視野の広い主張、攻撃的な批判に耐えられるくらい強い主張〉をする必要がある》(116ページ)とも述べています。

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そして、新世代の科学者が通説をくつがえす説を「信頼性の高いエビデンス・反証」に基づき強く打ち出して、大物の科学者との論争に勝利した事例(ハリスとザッカーマンの論争、第5章)などを取り上げています。そういうことが科学の世界では可能なのです。

こうした「科学への信頼」にかかわる事例が、本書ではいくつか述べられています。

また「学術誌の査読が機能していない」ということについても、すべてがそうではないとのこと。「限定された分野を扱う専門性の高い学術誌では、査読は機能している」というのです(これに対し『ネイチャー』のように幅広い分野を扱う学術誌の信頼性は劣るということ)。

***

私が本書を通して受け取ったメッセージは、「科学は複雑」ということです。

これは最終章のなかの一節の見出し――《科学は複雑で、絶えず変動している》からとった言葉です。

盲目的に「信頼する」のでもなく、「信頼できない」と切り捨てるのでもない。科学の建設的で健全な営みの「基本」はあるけれど、それに対し影響をあたえるさまざまな作用があり、その作用のからみあいで科学研究の世界という「生態系」が構成されている――そんなイメージを、私はこの本から受け取りました。

この「生態系」という言葉は、本書の最終章で科学研究の管理者の役割について述べた箇所からとったものです。

そこでは、研究の管理者の仕事について《ランの花〔秋田注:個々の研究〕を育てることではなく生態系を維持することである》と述べているのです。(555ページ)

この「生態系」というイメージは、研究所などの個別の場だけでなく「科学研究の世界全体」にもあてはまると思います。

***

本書は、「現代において、従来の科学研究の生態系が(悪いかたちで)変化している」ことを述べた本ともいえるでしょう。

しかし一方で「その生態系には健全さを維持しようとする作用も強く存在している」ということも述べていると、私には思えます。ここは意見が分かれるかもしれませんが。

しかしとにかく、この本には「科学の現状」を一般の人が自分なりに理解し、考えるための基礎知識や視点、材料が豊富に書かれています。科学に対する考えがどうあれ、読む価値があると思います。

そして、この本に書かれているようなことを認識する人が増えるのは、科学に対する社会的なリテラシーが向上することで、大事なことです。

ただ、新書サイズで読みやすく書かれているとはいえ、ハードなテーマで500数十ページもある本です。だから読む人はやはりかぎられるかもしれません。

そこで、「日本人の専門家による、この本のテーマをさらにかみくだいて簡潔に書いた本があったらいい」とも思いました。

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科学史関連

ベンジャミン・フランクリン 近代社会を精いっぱい生きた最強の独学者 

1月17日は、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790、アメリカ)の誕生日です。

フランクリンは、ワシントン、ジェファーソンと並ぶアメリカ独立の功労者で、電気学などの科学研究や、さまざまな社会事業で活躍しました。哲学や社会科学の分野でも業績があります。

そして、アメリカでは最もおなじみの偉人の1人で、100ドル紙幣の肖像にもなっています。

しかし、日本では「凧をあげる実験で雷が電気であることを確かめた人」というイメージがあるくらいで、それ以上のことを知っている人は少ないかもしれません。

***

フランクリンは、家庭の事情で10歳までしか学校に行けませんでした。しかし、本を読んで独学し、また印刷工(最初は丁稚奉公)として働くなかで、仕事で扱う活字の文書を読むなどして勉強を続けました。

なお、当時の印刷業というのは、現代でいえばITのような先端的な産業で、「情報産業」の元祖ともいえるでしょう。

そして、学校にほとんど行くことができなかったフランクリンですが、それでもごく若い頃から文章を書いています。16歳のとき、大人の著者のふりをして地元の新聞に投稿したエッセイが好評を博したり、20歳のころには哲学書を(ごく少部数ですが)自費出版したりしているのです。

その一方、印刷工としての仕事にもおおいに励み、やがて独立して印刷業者として成功し、かなりの財を成しました。また、しっかり稼ぐ一方、堅実な暮らしで蓄財にも励みました。

「時は金なり」ということわざは、フランクリンの作だとされています。

商売や蓄財が上手だった彼を、「拝金主義者」という人がいます。

しかし、フランクリンは、働かなくても食うに困らないだけの資産を築くと、40代で事業から手をひき、好きな科学の研究に没頭しています。とくに電気学の分野では、世界的な権威になっています。

また、大学や病院の設立、郵便制度の改革などの社会事業でも活躍しました。そして、晩年のアメリカ独立の際には、外交の仕事などで大きな役割を果たしたのです。

お金のことを気にしなくてよかった彼は、どの仕事も自分の信念に沿って、思いきり取り組むことができました。彼は、お金を「自立して自由に生きる」ための手段と考えました。

***

フランクリンは、1700年代のアメリカで成立していた(初期の)近代社会を精いっぱい生きた、成功者の典型です。典型的な「近代人」といってもいいです。そして「最強の独学者」といえるでしょう(「近代社会を精いっぱい生きた」というフランクリンについての表現は、板倉聖宣『フランクリン』仮説社による)。

私たちが生きている社会(現代の先進国)もまた、近代社会です。フランクリンが知恵と努力で成功していく様子は、「近代社会を生きるうえで大切なこと」や、そもそも「近代社会とはどういう社会か」ということを、生き生きと教えてくれると、私は思います。

民主主義、自由、個人主義、資本主義の経済活動といった、近代社会で重要とされる事柄を否定する傾向も強くなっている今、私たちはフランクリンについて知っておいたほうがいいと思っています。

***

フランクリンについては、多くの語るべきことがあると思います。

ここでは、フランクリンのエピソードのなかで「いかにもフランクリンらしい、歴史的にも重要な功績」といえる活動をひとつご紹介します。

それは「世界初の公共図書館(誰にもオープンな図書館)の創設」です。

フランクリンが20代半ばの若者だった1730年代の初め、アメリカのフィラデルフィアでのこと。彼と仲間の青年たちは、定期的に集まって勉強会をひらいていました。

そして、その勉強会に集まる勉強熱心な青年たちは、もっと本を読みたいと思っていました。しかし、当時の本は高価で、なかなか買えません。買うのに手間もかかりました。

当時のアメリカには、大きな町でも専門の本屋はありません(本は、文具店や雑貨店などで片手間に取り扱っていた)。

そこで、フランクリンたちは勉強会の仲間で蔵書を持ち寄って図書館をつくろうと考え、実行しました。当時はまだ一般の人が利用できる公共図書館というものはありません。

しかし、フランクリンたちが当初行った、この「本を持ち寄る」というやり方はうまくいきませんでした。各人がなくしていいようなダメな本ばかり持ち込んだからです。

たまに良い本が持ち込まれても、誰かが借りたまま返さないで、なくなってしまうなどということもありました。こういうことが何度かくりかえされると、良い本が集まらなくなってしまいます。

そこで、フランクリンたちは図書館を「おおぜいから小口の資金を〈会費〉として集めて基金をつくり、それで本を買う」方式に切り替えました。会費を払った人でなくても、その都度料金を支払えば図書館を利用できました。

すると、蔵書は充実して会員も増えていき、図書館は大成功。

最初の「持ち寄り方式」がうまくいくには、「自分の大事な本をみんなに差し出す」という自己犠牲が必要でした。しかし会費制だと、各人に無理を強いることなく、全体の利益を実現できます。そこがポイントだったのです。

フランクリンは、その後もさまざまな公益事業で活躍していきますが、この図書館のような、みんなの利益をはかるしくみづくりがたいへん上手でした。

このとき設立されたフィラデルフィア図書館は、世界初の公共的な(誰もが利用可能な)図書館で、今も活動を続けています。それまでの図書館は、王侯貴族などの私的な本のコレクションであり、一般の人が利用できるものではありませんでした。

なお、フランクリンたちが「図書館をつくろう」と動き始めた当初、町の人の反応は冷たいものでした。リーダーのフランクリンはまだ20代の若者だったので、なかなか信用してもらえません。

図書館が実現したのは、フランクリンたちが多くの人への働きかけを粘り強く続けた結果です。

***

どうでしょうか。こうしたフランクリンの活動は、今では「社会起業」などともいわれるもので、現代的な観点としても興味深いものだと思いませんか?

フランクリンについては、私の別ブログ「そういち総研」(はてなブログ、世界史専門で長文中心)で1万数千文字の記事を書いているので、詳しくはこちらで。


参考文献 『フランクリン自伝』ほか

フィラデルフィア図書館について、とくに参照(松野修さん執筆の章)

初心者にもわかりやすい、すぐれた伝記

いつまでもいると思うな・高橋幸宏さんの言葉

「いつまでもいると思うな高橋幸宏」――これは先日(2023年1月11日に)亡くなったYMOの高橋幸宏さん自身が数年前に述べた言葉です。

2016年11月に、バンドMETAFIVEの一員として生出演した朝のワイドショー『スッキリ‼』で、高橋さんはそう言っていました(どんな文脈だったかは忘れた)。

高橋さんの訃報を伝えた今朝の『スッキリ‼』で、過去の出演のVTRが流れていましたが、この発言は取り上げられていませんでした。でも、2016年の放送をみた私は、印象的な言葉として記憶しています。

そして、自分が子どもの頃や若い頃に慣れ親しんだ有名人、あるいは大切な人が亡くなるたびに、この言葉――「いつまでもいると思うな(〇〇さん)」を思い出してきました。

昨年、今50代後半の私が子どもの頃からその活躍に接してきた、藤子不二雄Aさん、アントニオ猪木さん、アニソンの帝王・水木一郎さんが亡くなったときも、まさにそうでした。

しかし、まだ70歳の高橋さんが亡くなって「いつまでもいると思うな」と思い知らされることになるとは……

***

私は音楽をそれほど聴かないのですが、YMOには若い頃から多少はなじんできました。YMOが登場し活躍した頃(70年代末~80年代初頭)、私は中学~高校時代。新しい音楽を新鮮な気持ちで受けとめることができました。

放課後に高校の放送部の部室に寄せてもらって(私は剣道部でした)レコードを聴くことがありましたが、そこでYMOのアルバムをはじめて聴いて「なんだかすごいなー」とワクワクしたのを思い出します。

あれから40年余り。かつて子どもだった私たちのスター、アイドル、神さまの訃報に接することが増えてきました。世代は移り変わっていくので、仕方のないことです。

「いつまでもいると思うな」というのは本当にそうなのです。何しろ自分自身だって「いつまでもこの世にいると思うな」ということなのですから。

今自分が生きていて、いろんな素晴らしい人や親しい人と同じ時代を共有しているのはありがたいことです。そして「それは有限なのだから大事にしないと」と思います。

***

蛇足かもしれませんが、このブログのテーマである「歴史・世界史(ここでは現代史)」の観点から、高橋さんの参加したYMOについて少し述べます。

評論家のなかには「YMOという、欧米で(その創造性が、少なくとも一定の)評価を受けたバンドの登場は、日本経済が世界的に勢いがあり、“ジャパン・アズ・ナンバー1”とも言われた時代とシンクロしている」と述べている方がきっといるはずです。私もまさにそうだと思います。

そこをもう少し言えば「現代日本の起点となった時代に出てきた、その時代を代表する文化的スター(のひとり)」ということではないかと。

そして「その国の“現代”の起点に登場した音楽界のスター」という意味では、1960年代のイギリスにおけるビートルズとも似た位置を占めています。

しかしこれは「音楽性や音楽としての価値が同じだ」と言っているわけではないので、そこはくれぐれも。「ある社会の発展過程のなかで、文化の生態系において似たような位置づけができる」と言っているのです。

その意味で、YMOは「イギリスよりも20年遅れて、極東の新興国が先進国に転化する過程で登場した、日本の“ビートルズ”ともいえる存在」だったと、私は思っています。

「音楽をろくに知らない人間が何を言う」と笑われるかもしれません。

でも「歴史・社会という観点からはそのように言えるのでは」と考えます。

そして日本に限らず、それぞれの国にその国の「ビートルズ」にあたる何かが登場するということは、一般にあり得るはずです。

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「初詣」の歴史・じつは鉄道が生んだ新しい伝統

今年の初詣は、歩いて10分ほどの近所にある小さな神社に、元旦にお参りしました。

その神社に初詣に行くのは初めてのことで、「小さな神社だから空いているだろう」と思っていました。

しかし、かなりの人たちが(おそらく近所から)集まって行列になっていました。お参りするまで20分くらいは並んだでしょうか。

そういえば近年は、コロナ禍の行動制限や自粛の影響もあってか、テレビで「電車でお参りに行くのではなく、近所で済ませては?」と述べるのを何度か見聞きしました(行動制限のない今年の正月は、それはあまりなかった気もしますが)。

さらにその背景的な知識として、「江戸時代には近所でのお参りが普通で、遠くまで初詣に行くことは、明治以降の鉄道の発達で普及した」と解説していることもあります。

私の本棚に、平山昇『鉄道が変えた寺社参詣』(交通新聞社新書、2012)という本があります。平山さんのような研究は、テレビで述べていることの元ネタです。この記事の以下の内容も、平山さんの本に基づいています。

***

まず、平山さんによれば結論として、“「初詣」は鉄道の誕生と深く関わりながら明治中期に成立したもので、意外にも新しい行事”だと述べています。(同書19ページ)

そもそも、今の私たちが行っている「初詣」とは何か。

明確な定義があるわけではありませんが、「正月に神社仏閣に参拝すること」だとはいえるでしょう。そして、多くの場合遠出をして有名な神社やお寺に行く。そのためにおもに鉄道などの公共交通機関を使います。

しかし鉄道ができる前の江戸時代には、様子がちがいます。寺社への参拝はたいていは近隣で済ましていました。

そして「いつ」「どこに」お詣りするかについて、様々なルールがありました。

「元旦には氏神様へ」とか「家からみてその年の恵方(えほう、神が存在する幸運をもたらす方角、5年周期で変わる)に当たる寺社へ」等々。このようなルールにしたがって参拝することによってご利益がアップするとされていました。

ところが今の初詣には、この手の縛りがないわけです。まず「いつ」に関してはばくぜんとしています。3が日の参拝が多いですが、おおむね1月中に行けばまあ「初詣」といえるようです。「どこに」については、どこの寺社に行っても構わない。

そのような、縛りの少ない今日型の初詣は、どのように成立したのか。

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鉄道による寺社参拝の先駆となったのは、川崎大師です。

明治5年(1872)に日本初の鉄道が新橋~横浜間に開通しましたが、その途中駅の川崎停車場から数キロほどのところに川崎大師はありました。数キロというのは、当時の人には十分に徒歩圏です。

鉄道を使えば、有名なお寺に以前よりもはるかに容易にアクセスできるようになり、川崎大師にはおもに東京から多くの人が訪れるようになりました。とくに正月には多くの人で賑わった。

このような、鉄道を利用した正月の寺社への参拝は、鉄道網の発展とともに、各地へ広まっていきました。

***

ただし、鉄道による川崎大師の賑わいは、大師様の「縁日」(弘法大師の命日にちなむ)である21日がメインでした。また「東京からの恵方にあたる年かどうか」にも影響を受けました。「いつ」「どこに」の縛りは重要だったのです。

しかしやがて、それも変わっていきます。明治20年代には、1月21日の縁日(初縁日)ではなく、おもに3が日に参拝が集中し、東京からの恵方にあたるかどうかに関係なく、毎年多くの人が集まるようになっていました。

明治になって七曜制が採用されると、21日が日曜でないと多くの人は都合が悪くなり、一般にはお休みの3が日がお参りしやすくなったためです。

また、5年に1回変わる恵方に皆がこだわると、東京からの恵方ではない年には参拝者が減ってしまいます。これは鉄道会社や寺社にとって不都合です。

そこで鉄道会社は、明治の当時から「新春の寺社への参詣は〇〇鉄道で」みたいな新聞広告をうっていたのですが、その広告で「恵方」ということをいわなくなっていきます。

東京からの恵方にその鉄道沿線の寺社が該当するときは「恵方詣り(えほうまいり)」ということをうたうのですが、恵方から外れる年には「恵方詣」という代わりに「初詣(はつまいり、はつもうで)」というようになります。

平山さんはこう述べています。

“「初詣」は恵方詣にも初縁日参詣にも該当しない正月の参詣を指すために用いられはじめた、いわば「隙間言葉」であり、新聞でも大正前期までは正月の報道で毎年必ず使われるほどメジャーな言葉ではなかった”(116ページ)

それが、明治末以降には「恵方」などの「いつ」「どこに」の縛りを受けない便利な言葉として、鉄道会社がもともとはマイナーだった「初詣」を積極的に使うようになり、今につながる「初詣」のコンセプトが全国に普及していったのです。

***

平山さんは、さらにこうまとめています。

“初詣はもともと恵方だの初縁日だのといった細かいことにこだわらずにお詣りするという、きわめてアバウトな行事として成立し、そのアバウトさに利用価値を見出した鉄道会社のPRによって社会に定着していったものなのである”(130ページ)

そして、そんなインスタントに定着した「伝統」なのに、“あたかも「初詣の正しい伝統」などといったものが古来からあるかのように説明する語り方が定着している”ことに疑問を呈しています。また、そのような「初詣の伝統」の語り方は昭和に入って流布したものなのだそうです。(130ページ)

このように「古来からの伝統」のように言われているもののなかには、じつはかなり新しい、近代的要素が含まれていることがあるのです。

このことは、たしかに知っておいていいと思います。初詣はその代表的事例のひとつなのでしょう。

「初詣は実は新しい伝統」ということは、最近はある程度普及してきた知識ですが、以前には明確ではありませんでした。それを、平山さんのような研究者が近年になって明らかにしていったのです。

この初詣のことのように「古いと思っていたけど、じつは意外と新しい伝統」について知ると「伝統は自分たちでつくっていいんだ」と思える気がします。

また「“伝統”と称する些末なことがらの押し付けを相対化する」という意義もあるかと。

***

ところで、「初詣と鉄道」といえば、「二年参り」のための大晦日の鉄道の終夜運転がありますが、あれはいつ始まったのでしょうか?

予想を立ててみてください。

(選択肢)
ア.昭和初期(1920年代)
イ.第二次大戦後まもなく(昭和20年代、1950年頃)
エ.高度成長期(昭和30年代、1960~1965頃)
オ.もっと後(1970年代以降)

答えは下に

 

初詣のための終夜運転が初めて行われたのは、昭和4年(1929)の正月のこと。成田山初詣のための終夜運転を、今の京成電鉄が始めたのが初だそうです。

当時、京成は競合する国鉄と初詣の旅客を奪い合っていて、その競争のなかで国鉄が終電を遅くしたのに対抗して、終夜運転を始めたのでした。そして昭和10年頃までには多くの鉄道路線で「二年参り」のための終夜運転が定着していきました。(140~143ページ)

私は、このことを知るまでは、ばくぜんと「初詣のための終夜運転というのは、戦後(昭和20以降)のことではないか」と思っていましたが、戦前の昭和にすでにあったのですね。こちらは意外に長い歴史があったのだと。

明治神宮(初詣のときではないですが)
これも創建は1920年(大正9)で古い伝統の神社ではありません

参考文献

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【新年の名言】星新一 ことしもまたごいっしょに宇宙旅行をしましょう

星新一(作家、1926~1997)がある年に友人たちに送った年賀状にはこう書かれていたそうです。

ことしもまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速二十九・七キロメートル。マッハ九十三。安全です。他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。

(『きまぐれ博物誌』角川文庫所収のコラム「思考の麻痺」より)

年賀状がまるでショート・ショート(超短編の小説)ですね。

この「名言」の年賀状が書かれたのは、1960年代の終わり。引用元のコラムに“先日、三億円を巧妙に奪取した事件があり”とあるので、昭和の有名な犯罪「三億円事件」があった1968年頃のようです。

昨年(2022年)の後半に、地球の人口は80憶をこえました。星のこの年賀状が書かれた時代――1970年の世界人口は37億人でしたから、50年余りで2.2倍に増えたわけです。

宇宙旅行をともにする80億人の乗客の誰かが「ごたごたをおこさない」ことを祈るばかりです。

***

しかし、昨年(2022年)は、ヨーロッパの東の「乗客」が隣国を大規模に侵略するという「ごたごた」の極致といえることが起こってしまいました。

この侵略戦争が起きたとき、私たちはおおいに衝撃を受けました。

でも、この戦争についての報道が続くうちに感覚が麻痺してきて、いろんなことにあまり驚かなくなってきている気もします。「ミサイル攻撃で市民○人死亡」みたいな報道に、以前ほどは驚かなくなっているのです。

ほかにも、感覚が麻痺してきたことはあります。

たとえば、政治家の非常識や不誠実の数々、天文学的な財政赤字、長年の経済の停滞、ネットやその他メディアでのウソや誹謗中傷、温暖化などの気候変動、今日の感染者数が○千人、○万人……

***

星新一は、この年賀状について述べたコラムのなかで「思考の麻痺」ということを述べています(コラムのタイトルが「思考の麻痺」)。

マッハ九十三で宇宙を航行する乗り物としての“地球の安全性は無限大である”が、“しかし一方、社会の変化ともなると、必ずしも安全は保障できない”。

そして、社会の変化のなかでいろんな危険や問題に対する「麻痺」が起こっていると。

星は「“保険で補償されればいい”という発想からか交通事故による死者の増大に対し人びとが鈍感になっている」「公害による健康被害ついてもいずれそうなる」という主旨のことを述べています。

そして最後にコラムをこう結びます。

“やがて、戦争保険とかができ、損害をつぐなえる体制がととのえば……。”

こうならないために、何が大事か。コラムの途中で星が述べている私たちへの呼びかけはこうです。

“時の流れに身をまかせきっていると、その感覚が麻痺する。たまには岸にあがり、流れをみつめるべきだろう。”

私も「たまには岸にあがり、流れをみつめる」ことを心がけていきたいし、それをほかの人が行うのに少しでも役に立つ文章を、このブログなどで今年も書いていきたいと思います。

今年もごいっしょの宇宙旅行、よろしくお願いします。

 

我が家にあるうさぎたち

2022年の世界と日本と当ブログをふり返る・「生き残りたい」

2022年最後の更新です。今年の世界・日本の出来事をふり返りながら、その出来事についての当ブログの記事を紹介します。そこで「当ブログの2022年のふり返り」でもあります。

もくじ

ロシアによるウクライナ侵攻

まず「最大の衝撃」といえるのが、2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻(ウクライナ戦争)でしょう。

このブログは世界史や社会のことをメインのテーマにしているので、当然ながらいくつか関連の記事をアップしました。

そして、泥沼化の様相を帯びてきたところで「この戦争の今のところの経緯は、かつての“満州事変→日中戦争”に似たところがある」と私は考えるようになりました。

つまり、2つの戦争のあいだには以下のような「相似」があると思うのです。

・どちらも、「軍事大国ではあるが、経済・産業は今ひとつ」という国が、自分たちの「ブロック(支配圏)」をつくろうと始めた。
・最初は、侵略を受ける国の周辺的な地域(満州、クリミア)で侵略が始まり、その後数年を経て、中核地域あるいは国全体への侵攻へと拡大した。
・そして、侵略側は相手を過小評価して「すぐに制圧できる」とふんでいたが、予想外の激しい抵抗にあい、戦争は泥沼化していった……

このほかにも似た点はあります。詳しくは以下のリンクの記事で。

ウクライナの歴史について簡単にまとめた記事

日中戦争の泥沼化は、結局のところ日本とアメリカの戦争(太平洋戦争)へと展開していきました。

のちに日本に対し強硬な経済制裁(とくに石油禁輸措置)を米英がとるようになって日本は追い詰められ、「日中戦争を続けるために東南アジアの資源をおさえる」「そのために脅威となる太平洋方面の米軍をたたいておく」という考えから真珠湾攻撃に踏み切ったのです。

いわば「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」かたちで破局的な大戦になったわけです。

今後ロシアが追い詰められることによって、かつての日本のような破滅的暴挙(核の使用など)に出ないか、とにかく心配です。

安倍元首相殺害

日本の出来事での「最大の衝撃」といえば、安倍元首相の銃撃・殺害事件(7月8日)だったのではないでしょうか。

下記のリンクの記事は、事件直後の、犯人像やその背景などがまったくわからなかった時点のものです。だから、つぎのように抽象的に論評することしかできませんでした。

《今回の事件が戦前のテロのような政治的・組織的なものであろうとなかろうと、どんな性格のものであっても、とにかくマイナスのエネルギーの噴出です。そしてそのエネルギーの噴出が「社会体制に脅威をあたえる暴力」であったという意味で、この事件は「テロ」といえます。それを今回はおさえることができなかった。このことは何らかの状況を示しているように思うのです。
それを抽象的にたとえると「“病気の種”の発生頻度が高まり、かつそれをおさえ込む免疫力が低下している」といえる気がします》
(当ブログ7月8日記事)

以上は抽象的ではあっても「基本的にはまちがっていない」と、今も思います。しかし、その後明らかになった事件の背景は、想像を絶するものでした。

まさに社会の「病気の種(病原体やがん細胞)」といえるような悪質なカルト宗教が日本社会に深く入り込んでいたことが、この事件の背景にあったというわけです。

しかも、その「病気の種」から本来社会を防衛すべき役割を担う、政権与党の数多くの政治家たちにその「病気の種」は深く食い込んでいた。

さらに驚くのは、その政権与党は「保守」という「日本としての愛国、国粋を掲げる立場」なのに、そのカルトは「反日」を教義の核に据えている、ということです。「現実は想像を超えるものだ」としみじみ思います。

そして、これこそまさに「“病気の種”の発生頻度が高まり、かつそれをおさえ込む免疫力が低下している」ということです。この問題は「2022年のトピック」で終わるべきものではないでしょう。

中国における新型コロナ対策

つぎは、新型コロナウイルス感染症のことです。日本でのこともいくつかあるのですが、私はとくに中国の感染症対策のことが印象的でした。

そこには「強権的な独裁政権が支配する国(専制国家)というものは、こういうものなのだ」ということが強烈に示されていると思います。

やや忘れられている感もありますが、「ゼロコロナ」を始める前の2020年初頭(新型コロナの感染拡大の初期)には、中国当局は新型コロナの問題を、権力にとって「不都合な事実」として隠ぺいしようとしました。

たとえば、武漢の李文亮さんという眼科医の件がありました。2019年12月、李医師は通常とは異なる肺炎が流行しつつあると気がついて、それをネット上に書き込んだ。

そしてそれがネット上に拡散すると、李医師は勤務先の病院から懲戒処分を受け、さらに警察に呼び出されて「このようなデマを今後は広めない」という書面にサインさせられたりしたのです。

専制国家では、「深刻な感染症の拡大」のような不都合な事実が隠ぺいされ、権力者にまで届かない傾向があります。臣下たちはそんな「聞きたくない話」を権力者に伝えて、不興を買うのを恐れます。

あるいは独裁者がその不都合な事実を知ったとしても、それを公認しないこともある。「今までの話との整合性」を非常に気にするからです。

専制国家では「指導者は超人・神なので絶対まちがえない」ということになっているので、そうなります。

しかし2020年1月下旬に、習近平国家主席が「新型肺炎」に関し「時機を逃さず情報を公開すべき」「党の指導を強化すべき」などの指示を出したことで、中国は大きく方向転換しました。

最高権力者のその一声で、当局の発表する新型肺炎感染者の数が急増したりしたのです(今まで隠していたわけです)。

その後中国は「ゼロコロナ(国民への行動制限などによるコロナの徹底的なおさえ込み)」へ大きく舵を切っていきました。

***

その政策は、ご存じのとおり一定の成果をあげたわけです。

しかし2年半以上も続けた結果、経済へのダメージや国民の不満など、いろんな問題がおさえきれなくなった。このため2022年12月初旬に、これまでの新型コロナへの対策を大幅に緩和することが政府によって打ち出された。

そして今度は爆発的に感染者が増えて、その数は国全体で1日に百万人を超えている可能性も十分にある(と海外の専門家は推測する)のに、中国当局の発表は「数千人」だったりする――そんな状況になりました。

また2020年の初頭の頃のような「不都合な事実」をおさえ込むスタンスに立ち返ったわけです。つくづく「ものすごい」国だと思います。

これから何か月か以上して、コロナがある程度鎮静化したとしたら、「共産党の(習近平の)指導はやはり正しく素晴らしかった」と喧伝されるようになるのでしょう。

でも、想像をはるかに超えて被害が深刻化していったら?――それは(日本や世界にとっても)ほんとうに恐ろしいことですが、今は考えたくないのでここらへんで止めておきます。

以下の記事は、そんな中国の独裁的な社会構造と、日本の社会構造(権力がさまざまな中間的団体に分散する「団体構造」)とを比較して論じたものです。

防衛費増額・物価上昇――これまでのパターンが終わる?

そして今年は日本の政治・経済において、この30年くらいの(冷戦終結とバブル崩壊以後の)「決まったパターン」がいよいよ崩れる兆しが、顕著になってきた年でもありました。

「防衛費の大幅な増額(倍増)の方針を政権が打ち出した」「燃料・原材料費の世界的な高騰(ウクライナ戦争の影響もある)、円安の影響による物価上昇」は、まさにそうでした。この30年くらい慣れ親しんだパターンや枠組みが終わるかもしれない、という兆しです。

「冷戦が終わって世界大戦のリスクは明らかに遠のいた」
「唯一の超大国となったアメリカの軍事力の傘のもとで、東アジアは(どうにか)安定を保っている」
「物価は上がらない(給料も上がらないけど)」
「品質の悪くない、いろんなものが手ごろな値段で手に入る」

そのようなことについて「これはいつまでも続かないのではないか」と思えるようになってきた……でもそれは困る、そうなってほしくないわけですが。

以下は、防衛費の増額に関して、その必要性についてはある程度納得しながらも「はたして増やした予算を適切に使えるのか?」という問題意識を述べた記事。それと、物価全般のことではありませんが、「本が高くなってきた」ことを論じた記事。

今年亡くなった人・いつまでもいると思うな

ほかにもいろんな事件・出来事がありましたが、このくらいにしておきます。今年亡くなった方については、エリザベス2世(9月8日没)とゴルバチョフ元大統領(8月30日没)についての記事などがあります。

エリザベス女王はまさにそうですが、誰であっても「いつまでもいると思うな」ということですね。

今50代後半の私にとって子どもの頃からその活躍に慣れ親しんできた藤子不二雄Aさん(4月7日没)、アントニオ猪木さん(10月1日没)、アニソンの帝王・水木一郎さん(12月6日没)の訃報に接したときも「いつまでもいると思うな」という言葉が頭をよぎりました。時や世代は移り変わっていくものだと。

「シン・ウルトラマン」と社会の変化の減速

あとは2022年に観た映画、読んだ本についての記事。その中からとくに反響があったものを。

映画「シン・ウルトラマン」を、ウルトラマン世代のオジさんの私は、おおいに楽しんで観ました。

その感想のなかで「ウルトラマンのような50年以上前のコンテンツの基本設計が今も通用するのは“社会の変化がゆっくりになっている”ことを示しているのではないか」と論じました。

すると、はてなブックマークやフェイスブック上の拡散力のある方の影響で、1000単位のアクセスがありました。批判的な反響も多々ある一方、強い賛同もありました。

これに関連して「技術革新全般の近年における減速」について論じた記事もアップしましたが、こちらも1000余りのアクセスがありました。

「社会の変化がゆっくりになっている」というテーマは、その主張に賛成するかどうかはともかく、「ざわつく」感じがするようです。

私としては「その問題提起が、ある“核心”を突いているからだ」と思っています。今後とも掘り下げていきたいテーマです。

小熊『論文の書き方』 魚豊『チ。』 レジー『ファスト教養』

読んだ本の紹介・解説では、つぎの3つを。まず、小熊英二『基礎からわかる 論文の書き方』についての記事は、何百というはてなブックマークを頂いて、数千のアクセスがありました。

このテーマについてのしっかりとした知的な本(この本はまさにそう)への関心・需要は大きいのですね。

また、架空の中世を舞台に地動説への弾圧とそれに抵抗する人びとを描いたマンガ・魚豊(うおと)作『チ。』についての記事。現代のマンガは、ほんとうにいろんなテーマを描くようになりました。

このマンガは基本的に史実とは全く異なる物語が展開していきますが、じつは地動説の史実のなかにある「真実」がしっかりと描かれている――そんなことをコペルニクスについての史実をもとに述べています。

拡散力のある方がツイッターで紹介してくださったほかに、グーグルでも比較的検索されるようになり、私のブログのなかでは数か月にわたって検索の上位にありました。

そして、レジー『ファスト教養』についての記事。

今年になって私は「コスパ」ならぬ「タイパ」(時間対効果)という言葉を知りました。「ファスト教養」はこの本の著者レジーさんによる造語で、タイパや出世を強く意識した教養に対する近年の傾向をあらわすものです。

この本は「ファスト教養」を上から目線で批判・糾弾するのではなく、それに一定の理解を示し「煮え切らない」ところを残しながら、「生き方」「学び」について真剣に考えるものになっています。

この記事は、著者のレジーさんがツイッターで好意的に紹介してくださったこともあり、私のブログとしては多くのアクセスがありました。

サッカーワールドカップ

うーん、あんまり明るい話題が出てないですね。何か明るい話題はなかったかと考えたら、サッカーのワールドカップ(カタール大会)がありましたね。

日本代表の試合だけでなく、決勝戦のアルゼンチン対フランスの名勝負など、たしかに観ていて楽しかった。眠くてもライブで観た甲斐がありました。

私などまさに「にわか」なんですが、それでもほんのひとときでも、暗いことやイヤなことを忘れ、元気な気持ちになる。

「それが現実の問題を覆い隠している」というのも一理あるとは思いますが、「まあそう言わないで」と私は思います。

以上の主旨とは別の視点ですが、サッカーワールドカップについての記事。

さいごに・「生き残りたい」

今日の午前中に、ウクライナのことを特集したNHKの番組を観ていました。

そのなかで、激戦だった都市のあるアパートの壁に「生き残りたい」と大きく書かれているのを映していました。

私たちの国では、切実に文字どおり「生き残りたい!」と叫ぶ状況の人は(いるとは思いますが)限られるでしょう。

でも「生き残りたい」を比喩的にとらえて「今の暮らしを守りたい」「自分の願うように生きたい」などの切実な想いだと解釈すれば、「生き残りたい」という言葉は、私たちにとっても無縁ではないように思います。

私もそのよう意味で、なんとか来年も生き残りたいと思います。それではまた来年もお会いしましょう!

ハワード・ヒューズという究極の不幸な金持ち

12月24日のクリスマス・イブになると、私はこの日が誕生日の、ある大富豪のことを思い出します。

20世紀のアメリカにハワード・ヒューズ(1905~1976)という大富豪がいました。彼は早死にした父親が創業した機械メーカーを18歳で相続し、その後まもなく、会社の支配を争った親戚を追放して経営の全権を握ります。

それからは、映画や航空機の事業に進出して大成功。さらに不動産投資などで資産は膨らみ、晩年は今の価値で「資産何十兆円」の「世界一」といわれる富豪になりました。

若い頃の彼の活躍は、非常に華やかでした。たとえば、20代でハリウッドの映画産業に進出してからは、自ら監督した大作映画を何本もヒットさせています。

また、航空機の名パイロットであり、1938年には世界一周の最速記録を打ち立てています。プレイボーイとしても有名で、女優・モデル、令嬢などさまざまな女性との浮名を流しました。

そして何より、航空技術の分野では野心的で創造的な事業家でした。

たとえば1940年代に、ジャンボジェットよりも巨大な700人乗りのプロペラの巨大飛行艇を試作したことは、とくに有名です。ただし、この大飛行艇は1947年のテスト飛行で1マイル飛んだだけで失敗に終わっています。

それでも、当時最先端だったヘリコプター製造の事業を開拓し、さらにミサイル製造や宇宙開発の分野でも、彼の会社は重要な実績を残しているのです。

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そんな彼の前半生は、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『アビエイター』(2004年公開)で描かれているので、イメージを持っている方もかなりいらっしゃると思います。

しかし、『アビエイター』で描かれなかった晩年のヒューズについては、ご存じの方は多くはないはずです。

『アビエイター』のラストで、ディカプリオ演じるヒューズは、鏡に向かって「世界一の富豪になる」と自分に言い聞かせていました。

そして実際に(映画では描かれていませんが)、後のヒューズはいくつもの事業や不動産投資などを大成功させて、「世界一」といわれる富豪になったわけです。

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しかし、彼は家族も友人もなく孤独でした。50代半ば以降は心を病み、隠れ家に引きこもって、めったに表に出なくなりました。

71歳で亡くなるまでの十数年間で、彼が最も長く暮らしたのは、自らが所有するラスベガスのホテルの最上階にあるペントハウスです。

そして、彼はそこで薬物づけになっていました。半裸状態で、何年ものあいだ散髪をしないので髪やヒゲはボーボー。

また、病気に感染することを極度に恐れてアルコールで体を頻繁に拭くので、肌(とくに手先や腕)は荒れ放題になっていました。とても人前に出られる状態ではありません(以前は格好良かったのに)。

彼のそばに近づくことができるのは、ほんの数名の使用人だけでした。

それでも彼は、自らの「事業の帝国」を支配していました。彼はヒューズ財閥の持ち株会社の唯一の株主であり、企業の絶対的なオーナーとして、電話やメモでごく少数の側近に指示を行い、資産や事業を管理していました。

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たしかに、大富豪や権力者が、人目を避けてひき込もるのは、ヒューズのほかにも例のあることです。

しかしヒューズが特異なのは、私たちがイメージする大富豪らしい贅沢や快適、そして威厳とは無縁なことでした。

そもそも、大富豪が引きこもるのであれば、郊外や田舎の広大な敷地の邸宅に住むのが相場です。立派なペントハウスとはいえ、街中のホテル住まいというのは、本来は奇妙なことなのです。

そして、ガードマンに厳重に守られたペントハウスの暮らしは、どうみても人がうらやむようなものではありませんでした。

たとえば彼の寝室は、数メートル四方に過ぎません。そして寝室には誰も入れず、掃除もしなかったので、彼がこの部屋を晩年に引き払ったあとにスタッフが入ると、まさに「汚部屋」となっていたのでした。

彼の食事も、かなりひどいものでした。ある時期には、お気に入りの缶詰のスープばかり何か月も毎日食べている、などということもありました。これは極端な場合ですが、ヒューズは食べ物には無頓着でした。

彼の引きこもり生活における楽しみは、まずテレビでした。そのほかには、映写機で映画をみること。気に入った映画は何十回も(ときには食事もそっちのけで)くりかえしみたといいます。

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しかし「大富豪としてはお金を使わない暮らしをした」のかというと、そうともいえません。「非常にアンバランスなお金の使い方をした」といえるでしょう。

たとえば、彼のために何人もの医学博士などによる、お抱え医師団が常時待機していたのですが、その医師たちにほとんど診療らしい診療をさせていません。病気や薬物で体がボロボロになっていたにもかかわらずです。

また、映画好きの彼は、あるテレビ放送局に「一晩中映画を放送してほしい」と要望したところ断られたので、その放送局を買収して映画ばかりを放送させた……なんてこともありました。

これは「大富豪ならでは」ともいえますが、やはりいびつなお金の使い方だと、私は思います。

「いびつなお金の使い方」といえば、「アイスクリーム事件」とでも呼ぶべき、つぎのようなエピソードもありました。

ある時期、ヒューズはサーティワン・アイスクリームのあるアイスを気に入って、毎日食べていました。ヒューズの側近たちはサーティワンの会社からそのアイスを大量購入してストックしていたのですが、そのアイスが廃盤になってしまった。ストックを確認すると、残りあとわずか。

そこでヒューズの部下は、サーティワンの会社と秘密裏に交渉して、そのアイスを復刻製造してもらったのです。そしてヒューズ1人のために最低の製造単位である1300リットル余りを購入したのでした……

また、ヒューズは何十人もの女性を「愛人」「囲い者」にしていたのですが、引きこもり生活になってからそれらの女性とは一切会っていません。しかし彼女たちにはずっとお金を支払い続けました。

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結局、ヒューズが最も多くのお金を費やしたのは、「自分が完全に引きこもって、誰の目にも触れないようにすること」に対してでした。

絶対に秘密を守る側近や召使、ガードマン、それらのチームをチェックするシステム・組織――それこそが彼が莫大な資金や細心の注意を傾けて維持し続けた、最も重要な「所有物」でした。

また、自分に仕えた人間が仕事を辞めた後は(クビにした場合も含め)、「自分のことを口外しない」という守秘義務とひきかえに何十年ものあいだ給料を支払い続けています。

(以上、ジェームズ・フェラン『謎の大富豪 ハワード・ヒューズの最期』プレジデント社、1977年による)

***

うーん、これが世界一の大富豪のいきついた暮らしなのです……

ヒューズは事業の才能にあふれた、金儲けの天才でした。しかし、究極の「不幸な金持ち」です。そのみごとな標本として、今後も語り足り継ぐのに値すると、私は思います。

そして彼をみると、月並みですが「家族や身近な人を、そして自分を大切にしよう」「たとえ不遇や孤独でも自分を失わずにいたい」「お金を有意義に大事に使おう」などと思いますが、どうでしょうか? 

 

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防衛費予算に関してのほか、大富豪アンドリュー・カーネギーのお金の使い方(こちらは尊敬できる)について述べています。

こちらも尊敬できるお金持ち

世界における「移民」「難民」の大まかで基本的な数字

「移民」「難民」のことは、世界情勢を理解するうえで非常に重要なはずですが、私たちはそれについては(世界情勢に関するほかのこととくらべても)まったく知識が足りないように思います。

この記事では、世界における「移民」「難民」についてのごく大まかな統計の話をします。移民問題についての概説書や一般的な統計集で私が知ったことのうち「これは基礎的な数字だ」「興味深い」と思ったものについて述べます。

各国の事情や「移民は仕事を奪うのか?」みたいな具体的な社会問題については、ここでは述べていません。でも、ぼんやりと「やっぱり移民・難民の問題は大きなテーマだ」と感じるうえでの参考にはなるとは思います。

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そもそも「移民」「難民」とは何でしょうか? 

移民とは、国連の定義では「居住国から一年以上離れて暮らす人」のことで、永住や長期在住を志向する人だけでなく、出稼ぎ的な人も含みます。

また「難民」とは、難民条約(1951年)の定義を要約すると「戦時・平時を問わず人種、宗教、国籍、政治的意見などが原因で迫害を受ける恐れがあるために他国などに逃れ、国際的保護を必要とする人びと」と定義できるでしょう。

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現代の世界では、新興国や発展途上国から多くの人びとが欧米先進国へと流れ込む動きが活発化しています。

たとえば近年の西ヨーロッパでも、移民や難民の増加がみられます。つまり、「文明の中心」に向かって「周辺」から多くの人びとが流れ込む動きがあるわけです。より良い暮らしや安全な環境を求めてのことです。

国連の統計によれば、1990年から2020年のあいだに世界の国際移住者(おもに移民で、難民も含む)は83%増えて、およそ1.5憶人から2.8億人になっています。

その男女比率は、男性52%、女性48%で、ほぼ男女半々です。サービス業の労働力の需要増により、女性の割合が近年増えている。

「2.8憶人」は2020年の世界人口の3.6%です。私は「移民・難民が世界人口に占める割合は意外と少ない」ように感じますが、どうでしょうか? 

海外に移住するということは、やはり簡単ではないので、それも当然かもしれません。ただし現時点で「3.6%」ということは「まだまだ伸びしろがある」ように、私は思います。

なお、世界人口は1990年から2020年のあいだで47%増(53億→78億)なので、国際移住(移民・難民)の増加ペースはこれを明らかに上回っているのです。

そして、「南」(途上国・新興国)から「北」(先進国)への移住の増加が目立っています(この点についてはある概説書にそういう記述があるものの、具体的な統計がその本にはなく、私はまだ具体的な数字を参照していません)。

国際移住には「南→北」のほかに「北→北」「南→南」「北→南」もありますが、ここでは「南→北(周辺から中心へ)」の動きに、とくに注目したいと思います。

***

また「1990年から」というのは、「東西冷戦が西側(欧米の資本主義)の勝利」で終わって以降、ということを意味します。

冷戦以後の「グローバル化(地球規模の交流の活発化)」のさらなる進展とともに、欧米への移民は以前よりも多様になりました。

従来は西ヨーロッパ(西欧)であれば、移民はかつての植民地やほかの西欧諸国といった「歴史・文化的に関係が深い地域」からが占める傾向が強かったのです。

たとえばフランスの場合は「西欧以外では、旧植民地のアルジェリアやモロッコなどからの移民が多い」ということです。

しかし冷戦以後は、旧社会主義圏の東欧・ロシア、さまざまなアフリカや中東の諸国、さらに中国などからもかなりの移民がやって来るようになりました。

***

そして近年は、中東・イスラムでの戦争や政情不安によって大量の難民が発生し、そのうちの多くの人びとが西欧をめざす事態も起きています。

とくに2011年に始まったシリア内戦(独裁的なアサド政権と反政府派の戦い)で発生した難民は、空前の規模でした。2021年末までに海外に脱出したシリア難民は680万人を超えます。

それらの難民のうち大部分の人びとは、まずトルコなどの近隣国に逃れてから西欧をめざしました。そして「難民危機」といわれた2015~2016年には、大量のシリア難民のほか、アフガニスタンやイラクからの難民が西欧をめざす動きがあったのです。

これらの難民はトルコからエーゲ海を渡ってギリシャ経由でハンガリーなどの東欧へ進み、そこから西欧をめざしました。

このときの中東・イスラム世界ではシリア内戦のほか、複数の危機が深刻化していました。イラクとシリアではテロ組織「イスラム国」が台頭し、アフガニスタンではイスラム原理主義勢力タリバンが政権奪回に向けて攻勢を強めていたのです。

そのような背景があって、2015年のうちに130万人余りの難民がトルコ経由でヨーロッパへ流れ込む事態となりました。

この「難民危機」については「当時、ドイツのメルケル首相が難民の積極的受け入れを宣言したために、多くの難民が西欧(とくにドイツ)をめざして動き出した」ということが強調されたりもします。

たしかにメルケル首相の発言はかなりの影響を及ぼしたでしょうが、ベースとしては以上のような、当時の中東・イスラム情勢があったわけです。

***

そして、こうした難民の動きに対し、西欧の国ぐに(EU諸国)は、大量の受け入れには基本的に難色を示しました(ドイツは例外的だった)。

2015年以降はトルコ政府が(EUから多額の支援を得て)沿岸の警戒などを強化し、これまでにトルコが受け入れた300数十万人もの難民がヨーロッパに向かうのをどうにか食い止めています。

これについては「トルコはそんなにも多くの難民を受け入れているんだ」と、やや驚きませんか?

でもたしかにトルコのエルドアン政権は、明確な方針として、大量のシリアなどからの難民を受け入れているのです。(内藤正典『イスラームからヨーロッパをみる』岩波新書などによる)

しかし、そのようなトルコとEUの合意に基づく「防波堤」もいつまで維持できるかわからない ――それが2020年代初頭における現状です。

「人権問題」についてEU側がトルコ政府を非難することがあるのですが(多くの難民をトルコに背負わせているのに)、それに対しエルドアン大統領が「そんなことを言うなら、難民をヨーロッパに送り込むぞ」と脅したこともあります。

トルコにとっても何百万人もの難民を自国内に抱え込むことは、EUからの補助があるとはいえ、経済的にも精神的にも多大な負担です。どこまで現状のあり方を続けられるか……

そして、エーゲ海ルートのほかに従来からもあった「地中海などを密航して西欧をめざす」ケースは、2015年以降も後を絶ちません。シリアの内戦も(2022年末現在)続いている。

つまり「問題は未解決のまま、どうなるか予断を許さない状況」ということです。

***

そして、2022年2月に始まったウクライナ戦争では、1600万人もの国外避難者(「難民」よりも幅広い人が含まれる)が同年12月までに発生しました。

ただし2022年12月現在、その多くは隣国ポーランドなどの東欧にとどまったり、ウクライナに戻ったりしており、西欧に向かう人数は比較的限られる傾向があります(それでもドイツは、西欧では例外的に100万人余りの避難者を受け入れた)。

おおまかに700~800万人は一度海外に避難したあと、あえて危険な祖国に戻っているようです。

また、最も多くのウクライナ人が避難したポーランドには、2022年12月までに800万人余りのウクライナ人が押し寄せたのです。

ただしこの全てがポーランドにとどまったわけではなく、前述のとおり帰国した人、さらに他国へ出て行った人も多いわけです。

しかしそれでも800万という人数が、人口3800万人のポーランドに一度は入ってきているのです。ほんとうにとてつもないことです。それが今年(2022年)起こった。

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なお、近年における大規模な難民の発生は、サハラ以南のアフリカ諸国(代表例として200~300万人の難民が発生している南スーダン)など、中東や東欧以外でもみられます。

たとえば東南アジアのミャンマーや南米のベネズエラでも、国内の政治情勢の影響で近年は多くの難民(数十万人規模で、ミャンマーは100万人規模)が発生しています。

しかし西欧の周辺地域(中東・東欧)では、さらに大規模に難民・避難民が発生しているので、ここではそれについておもに述べました。そして、今後も新たな「難民危機」が世界のどこかで発生することは、おおいにあり得るでしょう。

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また、そもそも国際移民・難民の増加や多様化には、政治情勢だけでなく、グローバル化を支える通信・輸送の発達が大きく影響しています。

つまり、つぎのことが人びとの国際的な移動、とくに「南」から「北」への移動を促しているのです。

①携帯電話やインターネットが発展途上国でもかなり普及して海外の事情を知る機会が増えた
②国際的な移動手段が発達してコストも下がった

このような傾向は、少なくとも今後しばらくは「さらに強化される」と考えるのが自然でしょう。

つまり「移民・難民という現代の“民族大移動”は、これからの世界でますます大きな要素になる」ということです。

そして、移民・難民の影響から比較的距離を置いてきた日本も、このテーマにこれからは明らかに直面せざるを得なくなるのではないかと思います。

日本の移民・難民の状況については(それこそが私たちには大事なのかもしれませんが)、ここでは触れません。今回は世界の状況を、きわめておおまかに述べた次第です。

参考文献
以下のうち『現代ヨーロッパと移民問題の原点』はやや専門的。

最も参照した便利な統計集。このほか国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のウェブサイトなど参照。

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お金を使うのはむずかしい・防衛予算増額のこと

防衛予算の増額については、今の日本周辺の情勢だと、一定程度はやむを得ないと、私も思います。しかし心配なのは、「増額した予算をうまく使えるか?」ということです。

アジア・太平洋戦争における日本軍は、軍事費の使い方が上手ではなかったようです。その象徴は戦艦大和のような、当時時代遅れになっていた巨艦に莫大な予算・資源を投じたことでしょう。

アジア・太平洋戦争についての研究者のなかには、「日本軍はアメリカの圧倒的な物量に負けた」「不利な状況で善戦した」という見方に異をとなえる見解もあります。吉田裕さん・森茂樹さんは共著のなかでこう述べています(以下、引用箇所の執筆分担は吉田さん)。

“…実のところは、日本軍には「弱いなりの戦い方」ができなかったというのが真相である。敵にくらべて国力がはるかに貧弱なのだから、その乏しい力をいかに効率よく、合理的に使って戦争目的を達成するかを考えなければならないのに、実際にはたださえ乏しい力をどんどん浪費してしまっている”
(『アジア・太平洋戦争』吉川弘文館、8ページ)

つまり、当時の日本軍は「予算や資源、労力の使い方がヘタだった」ということです。

その「ヘタ」な面を象徴することのひとつに、「補給の弱さ」があります。先ほどの吉田・森両氏の著書でも“ただでさえ乏しい国力の無駄づかいに終始した日本軍の最大の失敗は補給の軽視であった”と述べています(25ページ)。

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では今の自衛隊はどうなのか? 私はそれを直接論じた専門家の論説を読んだことはないのですが、「今の自衛隊も、補給(軍事用語で兵站)に対する認識は弱いのではないか」と疑いたくなる話が、前掲の吉田・森共著にあります。

それは旧日本軍の補給部隊の出身で陸軍中将だった、田坂専一の発言です。田坂元中将は、戦後の1966年から80年かけて自衛隊のエリート将校たちが編纂した公刊の戦史『戦史叢書』(日清・日露をはじめとする明治の戦争から第二次大戦終結までの日本の戦史をまとめた本)について、補給の専門家としてつぎのように述べているのだそうです。

“…残念ながらこれらの戦史の中には、輜重(そういち注:しちょう、補給のこと)のことについては詳しく記載されていないのが実情でありまして、〔中略〕このような結果になったのも、〔中略〕近代戦に於いては、補給は一層その重要性を増したにも拘わらず、陸軍の中に精神面を重視するあまり後方補給の軽視乃至は物的戦力に対する認識の不足という底流があったからではなかろうかと存じます”(吉田・森前掲書74~75ページ)

1980年頃に完成した自衛隊の将校がまとめた戦史で、補給のことが軽視されているとのこと。

40年以上も前のこととはいえ、こういう「物資・予算のムダ使いにつながる、補給というものを軽視する精神」が今の自衛隊でも何らかの形で生きているのではないかと心配になります。今の自衛官は1980年頃までの自衛官の後輩ですから。

そして、軍事の専門家である自衛官以外の人たち、つまり政治家などの影響も心配の要素です。自民党をはじめとする現代日本の政治家に予算のムダ使いの傾向があることは、周知のことです。

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アメリカの大富豪のアンドリュー・カーネギー(1835~1919)の言葉に「お金は、稼ぐより使うほうがむずかしい」というのがあります。

彼は裸一貫から身をおこして、製鉄業で財閥を築きました。しかし、66歳で会社を売り払い、今の価値で何兆円ものお金にかえてしまった。そして、そのお金をすべて社会事業につぎ込みました。図書館、学校、ホールの建設、平和や教育のための基金など……

その事業においてカーネギーは、常に慎重に検討・研究を重ねたうえでお金を使いました。「ヘタにお金を使えば、社会事業であってもかえって害をなす」と考え、何兆円もの資金がありながら、シビアにお金を使ったのです。

その活動のなかで「お金を使うのはむずかしい」という言葉が出てきたわけです。まさに「お金の達人・巨匠」といえる人物がそういうことを言うのですから、ほんとうにむずかしいのでしょう。

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自衛隊の予算の増額は、社会のなかに「予算が足りない」現場が多々あるなかでのことです。たとえば保育士の配置(国家の予算配分が影響している)が十分でなかったり(最近のニュース関連)、市内の小学校でストーブや燃料を買う予算が不足して教室が寒かったりする(地元の子育て世代の人の話のまた聞き)のです。

どこかの自治体で「維持の予算がかかる」ことを理由のひとつに、「騒音がうるさい」という苦情のあった児童公園が廃止されることになった、なんてニュースも近頃ありました。

そんななかで「兆」のとてつもない単位で予算を増やすわけです。

私たちの自衛隊や、そこに関わる政治家・官僚は、ほんとうに増やした巨額の予算を有効に使えるのか? 彼らは苦労人の大富豪・カーネギーほどお金にシビアではないと思います。私はやはり心配しています。

参考文献